こんにちは!

横浜市戸塚区の【バリアフリー造形教室みんなのアトリエ】主宰の白瀬綾乃です😃


初対面の方とお会いしたとき、必ずと言っていいほど頂く「どうしてみんなのアトリエを始めたの?」というご質問。

長文になりますが、ここでお伝えしたいと思います🍀


13年前の夏、私は《ギランバレー症候群》を発症しました。
自己免疫疾患のひとつで、急速な全身の筋力の低下・末梢神経の麻痺を引き起こす病気です。
人によって病状は異なりますが、私は視神経も麻痺してしまったため「嗅覚と聴覚以外は機能していない」という状況になり、最終的には呼吸筋まで麻痺してしまったため呼吸器をつけてICU(集中治療室)へ入りました。
かなりの重症でした。

なんとか危機を脱して長期の入院とリハビリを経て自宅へと戻ったものの、傷付いた末梢神経が完全には回復せず、全身の筋力も著しく低下してしまったため、病気をする前とは明らかに変わってしまった身体を抱えながらの生活を送ることになりました。

退院してすぐの頃はこの“変わってしまった自分”を受け入れられず、段々と人に会うことが怖くなり家にこもりがちになってしまっていました。

甘えたい盛りの幼稚園生の娘に我慢をさせ、仕事が多忙な夫に家事・育児まで負担させてしまっていることがただただ申し訳なくて、

「もっと健康でいつも笑顔のお母さんの方が娘にはよいのではないか…
家事をきちんとこなして気配りのできる女性の方が夫にはよいのではないか…」

「ふたり(家族)の人生の足をひっぱっているのは私だ」

「私は周りの人に迷惑をかけている…
いなくなった方がいいのかも…」

そんなことを考えていました。

正直にお話ししますと“命を絶つ方法”をずっとずっと考えていました。


そんなある日、自宅ちかくのコミュニティスペースの広報紙を偶然手にしました。
その中のあるイベントの告知に目が止まりました。

新しくスタートする企画ということで「生きづらさを抱えている方、何か出来るか一緒に考えてみませんか?」という一文が開催日時と共に掲載されていました。

【何か出来るか】

この言葉が私の胸に響きました。

当時の私は自死を考えていた一方で、自分と同じ病気を患った人や、自分より重病の方・生まれつきの障害をお持ちの方に思いを馳せるときがありました。

呼吸が停止して一時は「危ない」と言われていた私を、ここまで懸命に治療して下さった医療関係者の皆さまのお顔を思い浮かべるときもありました。

「“私ひとり”の命ではないんだ」

「出来る・出来ないは関係なく、私が一番したいことって何だろう」

そう思っていた私にとって、このイベント告知は私に“扉を開けるきっかけ”をもたらしてくれました。


当日、緊張しながら文字通りコミュニティスペースの扉を開けました。

このイベントは私のような病気を抱えている人だけでなく、ご家族を介護している方やお子さんが障害をお持ちの方、またはそういった方をサポートしたいと考えている福祉業界の方など、様々な方が参加しており、ふだん思っていることやその時感じたことを自由にお話しする場でした。

初めて参加したとき、私はうまく言葉が出ませんでした。
病気によって家にこもりがちになっていたので自分に自信がなく、初対面の方と接するのが怖かったのです。

お相手の目もきちんと見れなかったですし、話をしようとすると手足がガタガタと震えてきました。
そんな状態の私でもスタッフ様はあたたかく迎えて下さいました。
急かすでもなく励ますでもなく、私の言葉が出るまで根気強く待って下さっていました。

その日から私は毎回このイベントに参加するようになりました。
「障害をお持ちの方をサポートする人間になりたい!そのために介護の資格を取りたい!」という想いを人前で初めて宣言したのもこの場所です。

資格取得のための講義に通い始めた…

無事に介護の資格を取得した…

障害者デイサービスで生活支援員として働き始めた…

その度にスタッフ様に報告していましたが、我がことのように一緒になって喜んで下さったことを覚えています。
私が病気から立ち上がっていく姿をずっと近くで見守ってくれたのは、家族とスタッフ様でした。

その後は生活支援員の仕事で忙しくなってしまったためイベントへの参加は難しくなってしまったのですが、仕事での出来事や障害福祉について思ったことなどをコミュニティスペース代表の方にはお話ししていました。


しばらくして“ひとつの転機”が訪れます。

 代表の方から「この場所で子供向けの工作イベントをやってみない?」との提案を頂きました。 
 この時の私は、障害福祉の現状を目の当たりにして「もっと一人一人に寄り添える支援がしたい」「得意な絵や工作で障害支援ができないか」と考えていたところでした。
 そしてそれを実現するために臨床美術士の資格を取得したばかりでした。
 臨床美術士の資格を取得したということを受けて、代表の方より先の『子供向け工作イベント』のご提案があったのです。 

 しかし私はこの提案を断りました。 

 当時は臨床美術士の資格を取得したものの、(今思えば当たり前ですが)人前に立って教えた経験がなかったのでやれる自信がなかったのです。

 その代わり「誰もが参加できる絵画サークルを作りたい」と申し出ました。
 障害・健常関係なく絵が好きな人が集まって、好きな画材で思い思いの絵を描く。
 同じ場所に水彩画をやっている人や油絵をやっている人、ぬり絵をやっている人など様々な人がいて、興味のあることをお互いに教え合ったりもする。
 そうすることで自然と人のつながりが生まれるし、自己肯定感を持てるようにもなる。
そう考えての『絵画サークル』の申し出でした。 

 代表の方は「白瀬さんにその気持ちがあるならここでやってみたら」と快諾して下さいました。 


 この新しく始まった絵画サークルの名前は【みんなのアトリエ】!
 障害や病気の有無に関係なく様々な立場の人が集まることで、障害に対する偏見をなくしていく場をつくりたいとの想いで『みんな』というワードを入れて名付けました。

 絵画サークルには予想どおり、水彩画を嗜んでいる方やぬり絵をする方などが参加して下さいました。
 (私はつけペンやスクリーントーンなどの漫画用画材を使って漫画を描いていた) 

 しかし「人とつながる」「自己肯定感を持つ」というサークルに込めた願いはなかなか伝わらず、特に障害をお持ちの方にも参加してもらうということは実現しませんでした。

 周囲に浸透していかないサークルの現状に悩みながらも、コミュニティスペースの一画で漫画を描くということを続けていました。

 そのうちに「漫画が出来上がる工程が面白い!」と声をかけて下さる方が現れました。

 「水彩画や油絵は描いているところを見たことがあるけど、漫画は見たことがない」

 「使っている道具を教えて欲しい」 

 そう話しかけてくる方が徐々に増えていきました。
 もしかしたら漫画の方が需要があるのかも…そう思い、絵画サークルを漫画に特化した会へと変更しました。
 (この出来事が現在、上矢部地区センターで行っている『たのしいマンガ講座』につながっています)


 また私は【アートで障害支援をしたい】という想いも諦められませんでした。 

 漫画も楽しいけれど、やっぱり私はアート(造形)で障害をお持ちの方と関わることがしたい。

 そして絵画サークルの【みんなのアトリエ】の名前を残すかたちで、障害者向けの造形教室をスタートさせました。

 造形教室はボランティアでの活動から始まり、数年後にきちんとした仕事として独立することになります。

 はじめは「もしかしたら飛び込みで参加して下さる方がいるかも…」と、誰も来ない会場で2時間も3時間も待ち続けたこともあったし、自分の力不足が悔しくて帰り道を泣きながら歩いていたこともありました。

 また「相手が障害者だからって足元みてるんだろう?そんなに金儲けしたいのか!」と心ない言葉を浴びせられたこともあります。

 それでも諦めず一歩一歩進んできたから、「みんなのアトリエにずっと通いたい」「白瀬先生だから安心」と仰ってくださる生徒さんや保護者さまと出会うことが出来ました。

 そして有難いことに
【障害者支援施設でアート講座をする】
【特別支援学校で美術の授業をする】という夢も実現しました。


 10数年前のあの日、コミュニティスペースの扉を開けていなかったら、私の命はそこで途絶えていたのではないかと思います。

 また《ギランバレー症候群》を発症していなかったら、障害者向けの造形教室を立ち上げることもなかったと思います。

 病気は出来ればしたくない。
 やはり私も病気をする前とは変わってしまったところがありますし、同年代の健康な方と比べて落ち込むことがあります。
 でも【バリアフリー造形教室みんなのアトリエ】を運営している今の自分が好きだし、これからも実現していきたい“障害支援”がたくさんあります。

 ひとりでも多くの方にこの想いが届くように、これからも私は進み続けます。 





バリアフリー造形教室みんなのアトリエ
白瀬 綾乃

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