挑戦 ~新しい世界を広める為に~ -4ページ目

挑戦 ~新しい世界を広める為に~

継続可能な耕畜連携モデルの構築が仕事です。
人間が産業を発展させると地球が勝手に蘇っていく事業モデルを構築します。

関わる人たちが豊かになり、次の世代が関わりたいと思ってくれるような世の中を作り上げる必要があります。

『そのメーカーは放射能検査していない』
『そこの食品は添加物だらけだ』
『その野菜は農薬をバンバン掛けている』

言うのは勝手だが、それは誰の為に情報発信しているのか?
消費者の為?
本当?
自分の為じゃなくて?

自分は放射能測定しているとか、農薬をなるべく使わないようにしているとか、そんなことは聞かれたら答えれば良いこと。
そういう危機管理情報、生産管理情報を差別化商品を売る為に使いたいなら堂々と使えばいい。自分でお金を投じて取った情報だから、間違いなく本当のことだろうし。

あるメーカーの全商品、全ロットの抜き打ち分析を朝から晩まで毎日行っているわけでもなければ、全ての商品にどんな原料や添加物がどれだけ使われていて、その添加物はどのくらい摂取すればどんな障害が出るなんていう正確な臨床データも持っていないくせに、一般的に言われている何年も前の古い情報を元に特定の会社や商品を攻撃する必要はないと思う。

ちょっと攻撃されたところで、どんな原料や添加物をこれだけ投入していて、それは法律に基づいた量なんだという履歴を残している企業が変わるはずがない。
彼らはある意味正しいことをしているのだから。

彼らが変わるのは、そういう差別化をしたビジネスが儲かるのだと感じた時だ。他人から唾を掛けられたときではないのだ。

自分は自分。
隣を歩く人の道にこちら側から唾を飛ばす必要なんてないのだ。そんなことをしても、相手にされないか、しつこくやればぶん殴られて終わりだ。
自分は"信じている自分の道"をただ真っ直ぐ見据えて歩けばいい。

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・2014/12/4 15:31頃 武蔵村山市学園1-2
・青梅街道に進入しようと歩行者用信号のみの交差点で路地側の「止まれ」標識で停止して信号待ち。
・歩行者用信号が青に変わり、安全確認後徐行で交差点に右折進入。
・その後45km/h前後で走行中にバックミラーでパトカーを確認。
・緊急車両を避けようと、少しスピードを落としたところでパトカーから停止命令。「一時停止違反」とのこと。
・同乗者が居たことと、「時間がないのなら早く捺印しろ」との指示で青切符に署名捺印。
・本日、最寄りの警察署へ立ち寄り交通ルールの確認。
・「2日に1度は通る交差点なのでどこが一時停止違反なのか教えてほしい」との質問に「そのケースは違反ではない」との見解。
・青切符交付者は「八交機1-1 巡査部長出口稔氏」とのことで、八交機に電話問い合わせするよう言われて電話番号を教えてもらった。
・交付者本人ではなく、パトカーに同乗していた隊員が電話にて対応。
・以下、彼の発言の要約。
・「止まれ標識の横にあるセブンイレブンの駐車場から私と巡査部長の2人で見ていた」
・「あなたが言う通り、先頭車両として信号待ちをしていたならば交通違反ではない」
・「でも明らかに停止標識を無視して交差点に進入した」
・ "止まれ"標識のそばに居たなら先頭車両(前後に車は居なかった)で数分間停車していたのを見ていたはずと指摘すると、「明らかに停止標識を無視して交差点に進入した」の一点張り。
・逆に「あなたこそセブンイレブンに我々(パトカー)が居たのを見ていないのか?」とキレ気味に声を張り上げる。

・"あなたは何を言っているのか?訳のわからんことを言うな!私が見なければいけないのは停車地点横のコンビニに駐車している車両ではなく、信号の色に関わらず付近を通過しようとする弱者、歩行者や自転車、路地に進入してくる車両であるから、コンビニ駐車場の車は見ていない"と言うと、「信号待ちしていたならパトカーを見ていたはずだ」と(パトカーを見ていないならあなたは嘘の証言をしているというニュアンス)で声を荒らげる。
・私の車の助手席の同乗者もパトカーが停車していたことは気付かなかった。(停止位置よりも後方に停車していた可能性大)
・「先頭車両として数分間信号待ちしていた」と「一時停止せずに交差点に進入した」の繰り返し。
・最終的には「出頭して不服申し立てでも何でもすればいい」と投げやりな回答。
・信号待ち2台目、3台目が先頭車両につられて一時停止せずに交差点に進入した場合に"一時停止違反"は理解できる。
・私の助手席に座る同乗者がイラッとするほど安全運転な私。
・警察官らしからぬ論点のすり替えや事実誤認を許していいものなのか?
・反則金7,000円、違反点数2点の問題ではない。自分の車、会社の車にドライブレコーダーでも着けようかと思う。

#拡散希望
#警察



自然と闘う?
地球に寄生してるくせに何言ってんだ?

『共存させていただく方法を探す』でしょ

何で人間は自分中心に考えるんだ?

生産者 Win

流通業者 Win

販社 Win

消費者 Win


かなり大きな規模でこの構図が成立しそうだ。

この構図を成立させた上で、過去から受け継いだ負の遺産を整理し、未来には正しいカタチで引き継いでいく。

これが日本だけでなく世界に、農業だけでなく畜産、水産、食品加工にも応用され、拡散していく為の組織を作るのが私の役目。

営業とかエンジニアとかコンサルタントとか、そんな枠を飛び越えた存在でなくてはならない。

見えてはきたが、決して楽ではない道のり。精神的にも体力的にも厳しい道のり。
自分との戦いだ。

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生ごみを1トン/day処理できるというプラントの紹介をしてくれた人がいた。微生物の力で分解し、処理した後に発生する僅かな残渣は農業利用するのだという。多くの場合、技術を自慢し、それに驚く人たちは農業の現場を知らないことがほとんどだ。

これは新しい技術だという。
いや、本当に新しいのか?
消えてしまうというその現象を見たことない人が、ただ驚いてあちこちでしゃべっているだけだ。こんな技術は昔から存在していて、大して驚くようなことではない。

生ごみ1tが土壌改良材50kgになったとする。さて、毎日処理したとしても1,500㎏/月しか排出されない。「しか」なのか「も」なのか…土壌改良材をどこでどのように使うか考えないといけないのだ。私の中の結論は、そんな1,500kgはゴミとして捨てなさいということ。
生ごみであるならば、原料は安定しない。つまり土壌改良材としての成分が安定しない。そして、仮に安定していたとしても、高々1,500kgの土壌改良材を売って得られる利益は高々知れている為、そんな不安定な原料を使った土壌改良材を販売しようなんていう業者は現れないだろう。現れたとしたら…結果は見えている。
人間の都合で作られたモノは、農業、土壌、土壌微生物、植物の都合で作られたものではないから、必ず問題を起こす。そして、うまくいかないと「あれを追加する」「これも追加する」なんてことが起こるのだ。

堆肥を作って土壌改良材として使用していくことは、とても有意義なことだと思っている人が多い。それは、農業関係者でも、研究者でも、一般人でもだ。ところが実際には、この方法は特別な状況でない限り、成立しないと言ってもいい。

農業で土壌改良材を使う理由は、土壌微生物の活性だったり、団粒構造の形成だったりする。どんな結果が出た時に微生物が活性したと認識しているのか、どんな土になった時に団粒構造を形成したと言えるのか、その明確な判断ができない生産者が多い。そして、そのような状況になったとしても、それにより農業にどれだけメリットが出たかトレースできないのだ。仮に効果を実感できたしても、コストが合わないというのが現実なのだ。

堆肥を作る為には、堆肥場にその原料となるものを運び込み、堆肥が出来上がるまで発酵工程を管理しなければならない。ところが、数か月管理して出来上がった堆肥が実際に効果性があるモノなのかどうかという点については、疑問の残るところ…というのが実状だ。
実は、この効果性という問題ではなく、堆肥場にその原料を持ち込んだ時点でコストが合ってない。原料が無料だったとしても、トラックでの原料輸送費を原価にプラスした時点でコスト的にはアウトなのだ。農業で使える資材費は本当に安い。

廃棄物を原料として作ることが多い堆肥でも、生産管理費、堆肥の運搬費、圃場への散布工賃など掛かる経費は多い。つまり、既存の工程の中に新しい技術を落とし込んでも、革新的な技術が生きることは少ない。既存方法からの脱却が必要なのだ。

農業に限らず、新しい流れを作らずに、既存のシステムの中に技術を落とし込もうとする人は多い。農業と連携して循環システムを構築しようという発想があるならば、実は生ごみが消滅することが重要なのではないのだ。安定的な品質の土壌改良材が必要量、つまり既存の土壌改良材製造会社の供給量と同じような量が確保できなければ土俵にも上がることはできない。でも、大量の土壌改良材を生産地の圃場に運搬するのは非常にコストが掛かる…。つまり、圃場から離れた場所から排出されるモノを使って循環システムを構築しようとする時点で無理があるのだ。つまり、排出されたものがどんなに良い土壌改良材だったとしても、圃場から離れている場所から大量のガソリンを消費し、排気ガスをまき散らしながら生産地に運搬すること自体がナンセンスだ。

有機農業に「畑には化学合成物質は入れない」「人間が輩出した危険ではない廃棄物を有効利用する」というコンセプトはあっても、本当に植物の生育環境、土壌物理性・生物性に適った良い規格なのか?と言われると言葉に詰まってしまう。ましてもや、経済活動を後押しするような規格ではないと断言できる。そもそも、日本という狭い国土の中で考えられた、既存の古い農業で使用する資材を有機資材(有機JAS認定資材)に置き換えただけの「人間の都合で考えた規格」だからだ。

今必要なのは、これからの時代で成立する農業ビジネスの構築だ。古い方法の一部を新しい技術に置き換えるようなつぎはぎだらけの構築ではなく、イノベーションを起こす必要があるのだ。

『地球を元に戻すには数百年掛かる』

冷静に考えたら当たり前のことだ。一瞬で地球が綺麗になるわけがない。自分がどんなに頑張っても全力で20年。長い道のりだ。自分が死んだ後の方が長い。

数百年先のことを考えてしまうと、人間の命なんて短いものだ。当たり前のことだが、命は有限なのだ。20歳の時には、地球を蘇らせるなんて思えなかっただろう。様々な経験をして、やっとそう思えるようになった自分に残された時間はあと20年しかない。野菜を20回作るのを見届けることしかできないのだ。

自分がやっていることに確信を持ててきたこと。そして、それを広める手段が少し見えてきたこと。それらの現実が、自分を数段上に引き上げてくれた。

数段上に上がると、人々が行っている経済活動の小ささが手に取るように見えるようになった。所詮自分だけの利益の為に活動てしているのだ。もちろんそれでいい。生きていく為なのだ。

「これはうまくやれば儲かるぞ」
不思議なことに、そういう発想は出てこなかった。いや、正確に言うと、最初は皮算用した(笑)
でも時間が経つにつれ、どうやって自動的に広まる組織を構築するか…ということがとても重要だと考えるようになった。

最初は、世界中の人が同意しなくてもビジネスになれば勝手に環境が改善していく仕組みを作れば良いと思っている。時代は後からついてくるだろう。

自分の為に経済活動をすればする程、地球は蘇っていく。
そういう仕組みを作るべきだ。

人生はどんどん平坦になる。

多感な時期にいろんなことを経験し、いろんな夢を胸に抱いた時に比べれば、今感じるのは、なんでこんな時代になってしまったんだろうということくらいか。

そう思い続けながらも、何も行動できていない自分。快も不快も大して感じずに毎日を過ごしている自分。

そこから抜け出すには大きな夢を抱くこと。
人生の終わりにやっと到達できるかも知れないという大きな夢を。

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「私はあなたのことまだ信用していませんから」

そういう言葉がわざわざ口から出てくる人は、まず自分が自分自身のこと周りに知ってもらおうとしていない人が多いような気がする。

最初から信用なんてしなくていい。
でも、まず疑わずに受け入れること。

難しいことではない。
真っ白になって、まず言葉を受け入れたらいい。