私のおべんきょうノート(ma-windのブログ) -5ページ目

私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 去年の暮、12月には記事を1つも書けなかった。いや、何度か途中まで書きかけて、自分の言葉にならないのでそのままになっていた。知ったかぶりのように、言葉を並べてもしょうがないよなぁ…、自分の言葉にならないと…。今まで書いたことも、どれだけ自分の物になっているかと言えば、たいしてなっちゃいないわけで…。そんな悶々とした思いに、師走の忙しい時期が重なって、なかなか書けないでいた。

 

 そうこうしている間に新年を迎えた。高齢の両親、義両親、皆元気に年を越すことができた。90歳を筆頭に89歳、85歳…。施設にお世話にならず、子ども(私たち)の手を借りず、自立して生きている。年を取るにつれ、ある意味「気力」が物をいう気がする。戦争を経験した世代の強さ、しぶとさ、底力を感じる。見習わないと…。彼らはコロナワクチンもそれなりに打ったけれど、去年1年元気でいてくれた…と、それが一番感謝である。

 

 さて、お正月と言えば年賀状だったけれど、年々それも減っていく。1年に一度、お世話になった人、友人たちの顔を思い浮かべながら宛名を書き、一言書き…というのが好きだったけれど、それも叶わぬようになってきた。郵便料金の値上げが庶民にとっては一番の理由だと思う。でも、ここ数年の値上げは、ちょっと酷くない?。

 少し前に、日本郵便の「点呼不備問題」によるトラック許可取り消しなんて問題もありましたが(不適切点呼で軽貨物車も処分へ、物流に影響か 国交省が日本郵便に)、日本郵便たたかれてるなー…という印象があった。これ、将来的に郵便を無くしたい意向があるのだな…と思う。デンマークでは既に手紙などの郵便物の配達が終了(デンマークの郵便配達、400年の歴史に幕…郵便ポストも順次撤去)してるしね。

 結局、全てをネット上で把握したい人々の意向なのでは…と少々陰謀論者の私は思う…。彼らにとって、膨大なネット上の情報を検閲することは反乱分子の炙り出しに有効なんだろう。かつ、郵便はある意味それができない唯一の人と人とのつながりではないかと…思ったりするわけで。どうでしょうかね…。そんなこともあって、今年もしぶとく年賀状書きました。

 

 さて、新年早々富士山周りの低山歩きに行ってきました。石割神社参拝して、石割山。

 

   

 

 翌日は竜ヶ岳。完璧ともいえる快晴、完璧な富士山。ちょっと完璧すぎて面白みがないか…。

 

   

 

下は竜ヶ岳の登山道。

 

   

 

   

 

 正月の光は神々しく、木々の緑は美しく、いや、枯草さえ美しく、何を見ても美しい。すれ違う登山客との「こんにちは」の挨拶もうれしい。譲り譲られの「ありがとうございます」もうれしい。何だか天国みたい。もう何も要らんなー…という気にさせてくれた。

 もともと、あまり物欲も無い私ですが、そろそろ肉体を手放してもいいか…とさえ、ふと思えた(あ、自分の肉体ね)。この美しい光になりたいなぁ…と。(まあ、でも、高齢の親をちゃんと見送って、子どもたちがしっかり家庭を持つまでは、もうちっと頑張ろう。)

 

 この、何を見ても美しく、うれしく、幸せな心持ちって、そういえばどこかで読んだなーと思いだしたのが 梵我一如の世界 にメモした気功家の中先生の言葉だった。

 

以下、上記記事より再掲

 

--------- ここから

 

 その瞬間、「それ」は思いがけずやってきました。すべては一つ。「私」はすべての中にあり、すべては「私」の中にあったのです。見えるものも、見えないものも、すべてが私であり、そこに座っているインド人も、向こうの西洋人も、子どもも、老人も、木々も、犬も、サルも、みんな「私」だったのです。

 その「私」というのは、もはや個人の私ではありません。それは、何かによって作られたものでもなければ、何かによって得られたものでもありません。作られたものは壊れ、得たものは失ってしまうからです。それはすべての基盤となる「一」なるもので、過去もあったし、未来においても常にあり続けるものなのです。

 

中略

 

 その状態は、その後、2~3週間続きました。その間、私は静かな喜びにあふれて、何を見てもわけもなくうれしいのです汽車に乗っていてもうれしい。汽車から見える道端で草を食んでいる牛を見ても、腰を曲げて農作業をしている農夫を見ても、すべてが「私」であり、見ているだけで喜びがあふれてくるのです

 ただ、その境地は、隣にいる妻にさえ伝わらないのです。言葉でいっても伝わらない。妻は、ただ、私がなにやら幸せそうに周囲を見渡しているのを感じていただけでした。

 

-------- ここまで

 

 同じようなことを最近読んでいたこちらの本にも見つけた。

はせくらみゆき×ジュリアン・シャムルワ著「波動の時代を生きる ワンネスと宇宙意識」

 

   

 

以下、ジュリアンさんの言葉より抜粋

 

--------- ここから

 

 そういう意識のシフトが頻繁に起こって、兄も同じシフトを体験していました。それが今度は一瞬ではなく--------- ここから、もうちょっと長く、深くなっていき、僕たちは「いったいどこまで発展するのだろう?」とちょっと心配になり始めていました。

 心配というかあまりにも素晴らしくて、言葉に言い表せないくらい美しくて、こんなにも美しい体験はしたことがなかったので、この美しさ自体が生きている意味なのだと感じていたのです。

 そして愛もあります。意識のシフトで感じた愛は、今まで体験したことがないぐらいの愛で、愛と喜びがひとつになるというものでした。それ自体が生きているということであり、そのもの自体が美しいというようなことが混じり合って、愛、喜び、美しさ、この三つを融合した心の動きを感じられる体験でした。

 意識のシフトが始まるという突然で不思議な現象で、結果としてこの意識のシフトの間に日常の物事の見方が拡大され、すべてが可能であると気がつくような革新が心にあふれてきたり。

 そして、すべてがひとつになる、自分は宇宙であり、「自分」という個別な存在は消えてしまい、その代わり「宇宙と一体になる」という、頭では想像できない存在の状態になる…言葉で説明しにくいこの体験をして、何回もそれが波のように引き寄せられては、また戻って、また去って…と頻繁に体験をしました。

 

--------- ここまで

 

 もう、梵我一如そのままではないですか…。私の場合、自分が宇宙と一体になるところまでは感じなかったけれど…ただ、何を見ても美しかった。何だろう?この至福感は…という感じだった。

 ジュリアンさんの場合は、宇宙存在がやってくるようになり、意識のシフトというものを体験したらしい。この本もなかなか興味深いこと満載でした。「自分を観察する」「自分の感情を観察する」ということも述べられていて、成瀬雅春氏のヨーガと通ずるところもあり…で、思考を深めてくれそう。

 

 新年早々、きな臭いニュースも流れてきたけれど、自分の宇宙は穏やかな波動で満たして、できたらそんな穏やかな波紋を拡げていける1年にしたいもの。そして、自分としては謙虚に様々なことを学ぶ1年にしたいと思っている。

 

皆さまにとっても良い1年になりますよう。