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私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 ここのところ、言霊の話が続いたので、さらに続けてカタカムナの話もメモしておきたい。でも、今日はほんのさわりだけ…。カタカムナ…何やら興味深い世界だろうな…ぐらいの認識だった。でも、ちゃんと読んだことはなかった。

 カタカムナの研究家吉野信子さんをToland VlogさんのYoutubeで初めて知った。声がむちゃくちゃきれいな人でびっくりした。美声と言えば歌声…のことを言う事が多いけれど、こんなに「話す声が美しい!」と思った人は初めてかも…。

 

 

 

 声だけじゃなくて、志も美しく、世界平和のための架け橋になりたい…という純粋な気持ち…。そして、すっごい根性もありますね。求める者に神は姿を現す…だなぁとあらためて思った次第。そして、この本読んでみるか…と。

 

   

 

 この本で楢崎皐月氏とカタカムナの出会い、そのあたりのいきさつも初めて知った。やはり、導かれる人は導かれるのだなぁ…と思う。吉野さん自身も自らの経験から書いている。出会うべき時に出会うべき人や物と出会うと。

 

 楢崎皐月氏は戦時中に鉄の専門家として満州に渡っていた。満州の老子教のお寺で不思議な鉄釜に出会う。枯れ葉5,6枚を燃やすだけで、ぐらぐらに湯が沸く見事な鉄釜。そのお寺の住職曰く「その鉄釜を作ったのは八鏡文字という不思議な文字を使うアシア族で、日本に古代文明を築いていた」とか。

 日本に戻った彼は「鉄は原材料も製法も全く同じなのに、作られた場所によって全く品質が変わってしまうことがある」ことに気付く。土地の電位の違いが品質に影響するのでは…と。全国の土地の電位を測定する活動を始めた。

 そんな折、平十字という老人に「動物たちが迷惑してるから、土地の電位を測る測定器を撤去してくれ」と言われる。素直にその言葉に従うと、その老人は楢崎氏に好感を持ったようで、腰につけていた巻物を見せてくれる。カタカムナ神社のご神体だという。それが楢崎氏とカタカムナとの出会い。その巻物に書かれている図象を見た時、これが満州で聞いた八鏡文字ではないかと直感した彼は20日かけてすべてノートに書き写したという。これが今に残るカタカムナ文献と言われるものだとか…。

 ご存知の方はご存知なのだと思うけれど、これが80首あったという。ちなみにカタカムナウタヒってこういうもので…これは第6首。

 

   

 

楢崎氏の文字の解読についてこんなふうに記されている。

 

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 楢崎氏は、当初から、「これは文字ではないか」と考えていました。そして、『古事記』などの古い文献を他よりに、膨大な時間と大変な苦労を重ねて、一文字一文字を解読していく作業を始めました。最終的に、「これで読めた」という決め手になったのは、神様の名前だったそうです。

 『古事記』の上巻という最初の章から、有名な天石屋戸開きのくだりのところまでに、この世界をつくった神様の御神名がたくさん出てきますが、それらの御神名がカタカムナウタヒにもほとんどその順番で描かれていることがわかったそうです。

 神様の名前というのは時代によって変わるものではないし、口頭伝承していくときにも間違わないよう慎重に伝えるはずです。したがって、神様の名前こそ、古代から正確に伝えられている言葉だと考えられ、それに対応しているということは、楢崎氏が解読した読み方は正しいと判断できるわけです。

 こうして最終的にカタカムナ文字は48音に分類されました。、この48音を「声音符」と言います。

 

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 うーん、なるほど…。決め手は神様の名前なのだ。また、解読したカタカムナ文献を読んでみたら、中心図象から放射状に広がるカタカムナ文字の一塊を「ウタヒ」と読むことがわかったという。それで、これは一種の「歌」であることから1首、2首と数えるようになったという。

 

 この本を読み進めると、ホントに興味深い話が多い。今日はその中で次の一節を…。いったいカタカムナとは…。

 

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 カタカムナのカタとは「カタチのあるもの=物質・生命体」のことです。これをカタカムナではエネルギーの「容れ物」と見ます。つまり「カタ」とは「空間」のことなのです。たとえばクッキーを成形するための枠、あれも「カタ」と呼びますよね、生地を伸ばして型で抜くと、ハート型や星型のクッキーができますけれど、そのとき同時に、生地にはハートや星型の穴があきます。この穴のことを「カタ」と言うのです。

 次に、カムというのは「その力の広がり=生命エネルギー・塊」のことで、カタから湧き出ています。空っぽの空間に、エネルギーが入ることで、初めて形のある肉体や物体ができるのです。そして、カタとカムの2つを統合する核を「ナ」といい、「ナ」は「十」に通じます。カタとカムの統合した肉体からナを通して何かが放出されている。その何かとは、言霊であり、したがって生命体から放出されている言霊が現象界に実態を表す力となっているとカタカムナでは言っているのです。

 

 この「カタカムナ」という目に見えない生命エネルギーの循環する構造がすべての生命、すべての物体、すべての現象の基本構造です。 好むと好まざるとにかかわらず、核を通して放射されたエネルギー、すなわち自分の心、あるいは口から発した言葉が解き放たれると、現象世界に振動を伝え、具象化を引き起こしていきます

「カタカムナ」は自分の感じる心の中にあり、「今」を感じてどう思うかが震源となり、現実の世界に共振現象を起こし、実際に現象として現れるのです。

 

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 これって、保江先生の素領域論に通ずるものがありますね。空間の最小単位である素領域に素粒子が入って、物体、肉体になるという話がありました…。 意味ありげな雲の話 から再掲。ここでは空間の最小単位である素領域を「泡」と言い換えている。

 

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 素領域論とは、日本人ではじめてノーベル賞(物理学賞)を受賞したことで知られている湯川秀樹先生が最晩年に研究されていた理論で、それを「宇宙の背後に潜む基本原理」として僕が発展させたものです。

 素領域論では、この世の物質や肉体は「素領域」と呼ばれる泡のなかに存在する素粒子の集合体で、その泡のすべてを包み込んでいる部分が、「完全調和の場」の一部からなる霊体(霊魂)です。

 霊体は肉体よりも先に存在しているひな型のようなもので、この泡を取り囲んでいる部分が「あの世」や「神様の領域」である「宇宙」にあたります。

 そしてこの一つひとつの泡のなかに、肉体を構成するための素粒子が入って肉体組織がつくられることで、晴れてこの世に誕生、となります。

 つまり、僕たちの魂が肉体を得るプロセスとは、つぎのようになっています。

1.肉体ができる前にまずあの世にひな型(霊体)ができる

2.1.でできたあの世の側のひな型に、重なるように3次元の肉体が収れんし、合体している。

 

 

中略

 

 従来の物理学では、泡のなか、すなわち素粒子(物質)しか見ていませんでした。

 一方、素領域論は、泡を生み出す完全調和の世界と泡との関係に着目することから、「あの世(霊体)」と「この世(肉体)」の両方のしくみを統合する物理学といってもいいかもしれません。
 

-------- ここまで

 

 カタカムナでは空っぽのカタ(空間)にエネルギーが入って肉体になる…とある。言葉だけの表現なので、解釈や理解は曖昧さを伴うけれど、「空間とエネルギーを別物として認識し、それらを統合する」という概念は共通するんじゃないかなぁ。

 

 そして、統合した生命エネルギーが放つもの言霊であり、それらが現象界に具象化を引き起こす…とありますね。これ、目に見えない世界の話(9) 世界という幻 という記事にもメモした人間原理

「この宇宙、自然界の全ての現象、あらゆるものは、人間がそれを認識して初めて存在する。人間が認識しなければ、存在しない」

 

や、量子モナド理論で語られる世界観

物というものは存在せず、宇宙の森羅万象は心の作用であると捉える」

 

とも整合性のとれる話だと思える。

いやぁ…深いわ。