宇宙の始まりは点、それは「す」という言霊 | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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 さて、言霊について知りたいなぁ…と思って、こちらのはせくらみゆき、 周藤 丞治著「9次元からの招待状」を読んでいた。宇宙の始まりについて、興味深いことが書かれていた。こちらは古事記からのお話。

 

     

 

-------------- ここから

 

みゆき

 それでは、宇宙の始まりについて、古事記を通して言霊の見地からお話してみたいと思います。古事記の冒頭は、「天地初めて發けし(ひらけし)とき、高天原になりませる神の名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」という一説から始まります。

 まず、「天」、すなわち「あめ」もしくは「あま」という文字が出て来て、先に天なる大宇宙が存在したことを示しています。

 その中にある一点、天の御中に、御中の主がピュッと立つ。「御中」、つまり中心に立つことで、無限なるものから有限になる思いがスタートしたのですね。

 このピュッと出てくることを宇宙の成り立ちで言えば、ビッグバンに相当するのではないかと思っています。

 

周藤

 そうだと思います。無限から有限。その有限の中の有限、さらに有限の中の有限という感じで、僕の言葉で言うと、だんだんと次元が降りてくるわけですね。

 ビッグバンについては、超弦理論という高次元を扱う物理学によれば、高次元から低次元に降りるときに起こる事象として理解することもできます。御中主様と対応すると言っても良いかもしれません。

 

-------------- いったんここまで

 

 ふむ、古事記にはそんなことまで書いてあるのだ…。ここでは赤字強調はしていないけど、「無限なるものから有限になる思いがスタートした」というあたりが、実は深い意味がありそうだ。

 

-------------- 再びここから

 

みゆき

 古事記の冒頭は「天地初めて發けし時」ということで、天地開闢を先に謳ったのですね。聖書では神が天を創造する。つまり最初から神が存在します。でも日本の場合は、最初に宇宙があり、最初に無限があるのです。

 

周藤

 そうですね。よく自然神と人格神というふうに区別されますが、日本では大宇宙そのものを自然神として、大元の存在として捉えますね。

 

みゆき

 その大元、大宇宙から自覚する意識が生まれたのですが、その最初の自覚体が「天之御中主」になります。先ほどもお話しましたが、「御中」にポンッとあらわれる神です。

 このエピソードを聞くと、根源の偉大なる神様のことだと思いがちなのですが、実は私たち自身も、この世界における「御中(みなか)」として生きているのです

 たとえば、封筒の宛名に「○○御中」と書きますよね。そんなかたちで大切なことが暗喩されているのです。

 

-------------- ここまで

 

 こういう概念的なことを、言葉で表現するのって難しいと思うのだけど、はせくらさんの言う「大宇宙から自覚する意識」とか、「最初の自覚体」って、わかりやすいと思う。

 さて、この話はどこかで読んだ…と思った。合気道開祖の植芝盛平大先生が同じようなことを語っていたと…。ならば、きっとこの本だわ。保江邦夫・山本光輝著「神に近づくには波長を合わせればいい」のページを繰ってみた。

 

    

 

 山本光輝先生は合気道開祖の植芝盛平大先生の直の弟子であり、「いろは呼吸書法」という独特の書道をなさる方。山本先生の書は土地や水や人の身体も浄化する…そういった実例がたくさんある。その山本先生の語る植芝盛平大先生の言葉を拾ってみよう。

 

-------------- ここから

山本

 呼吸書法では、ひらがなの「と」の字と「の」のを筆の練習のために、次のようなことをします。「と」の字を書くことは左回転。「の」の字を書くことは右回転。この後に「く」の字の連続。そして縦棒を書いて、横棒を書いていきます。これは筆を動かす練習でもあるのですが、もっと深い意味を込めてみなさんにやってもらっています。

 この練習を見ていた北村さんが、「先生、これはまさに、伊邪那岐命、伊邪那美命ですよ」というのです。

 神漏岐命(伊邪那岐命)、神漏美命(伊邪那美命)という陰陽を表している言葉があります。これは、火(か)と水(み)、「かみ」といいます。これをやるときに、「すー」という言葉を発するのです。

 この左回転と右回転。それから縦横。実はこれは、植芝盛平翁の言葉「天も地もまだ分けやらぬ、混沌とした宇宙。ここにポチひとつ現る」という事をヒントにしてやっていることなのです。この言葉は「合気道新聞」に大先生の言葉・道文として書かれています。

 

保江

 ポチとはまさに…。

 

山本

 点ですね。「ポチひとつ現わる」と。「このポチは『す』という言霊じゃ」と言われたのです。声に出すとわかりますが、「すー」と発声していると、「う」という音が生まれます。さらに「ん」が生まれます。ここに「産土力(うぶすなりき)」という、すべての物象を作るエネルギーが生まれたのです。要するに、四十八の祖神(そしん)の言霊、これによってすべては生まれたのだという話を勉強会でみなさんに申し上げています。

 そうしたら昨年、ヒッグス粒子というものの存在が発表されました。それを聞いて、「大先生の言っていたのはこれのことだ」ということが瞬間的にわかりました。要するに、ビッグバンのときに素粒子というか、そういう波動が0.0何秒で消えてしまうような状態では、物質界というものは生まれるはずがない。だけどそこに、なにかのエネルギー体が引っ付くことによって、物質というか、量子というか、そういうものが生まれたのだというのがヒッグス粒子の理論です。これ、ノーベル賞でしたよね。

 

保江

 そうです。

 

山本

 なんと、植芝盛平翁は、古事記の話をしながら、ヒッグス粒子の話をしていたわけですよ。日本の古文献の中にはヒッグス粒子が既に表現されていた。

-------------- ここまで

 

 植芝盛平翁も、宇宙の始まりについて、古事記からこのように語っていたようだ。最初の言霊は「す」であるらしい。はせくらさん、周藤さんも天之御中主の言霊についてこう語っている。

 

-------------- 再びここから

みゆき

 この大宇宙からポンッと生まれた一柱の天之御中主は、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、つぎに神産巣日神(かみむすひのかみ)という陰陽のエネルギー、力動に自ずと分かれていったのですね。

 ただ、分かれただけでは、まだ相互に作用していない状態です。反対方向を向いていて、お互いの存在に気付いていないのです。この状態を「みな、獨神(ひとりがみ)と成りまして」と表現しています。

 

周藤

 なるほど。イメージしやすいですね。そうやって分かれていく様子が言霊と対応しているのですね。

 

みゆき

 そうです。これを言霊に置き換えると、天之御中主は「う」になります。高御産巣日神は「あ」「あ」の対極にある「わ」が神産巣日神

です。

 

周藤

 それぞれの神様の働きを表しているのが、それぞれの音だと理解すればよいでしょうか。

 

みゆき

 そうですね。まず、「う」というのは、音声学的にも最初に出た音なのですね。

 正確には、「う」の前は無声音の「ス」になります。音の出ない、スースーと風が鳴れているような状態ですね。無声音の「ス」を有声音にすると「う」になります。

 

周藤

 神道における究極の、大宇宙そのものの神様を「ス神」と呼ぶことがありますが、最初の無声音はまさにその「ス」ですね。

 この「ス」は最初に僕が言った、無限次元から有限次元に降りてくる働きそのものであると感じます。その段階で数千次元まで降りて来て、さらに次元を降りて自覚できる世界を作ろうとする、この働きが天之御中主の「う」だと思います。これが「ス」と「う」の違いだと感じられます。

 

みゆき

 まさに!こうした意味合いの違いやニュアンスを知ろうとするときに役に立つのが漢字なのです、たとえば、「ス」は「素」、「う」は「生、有、産」といった具合です。

 

-------------- ここまで

 

 一番最初の無限次元から有限次元に降りてくる一番最初の働きが「す」、そして、さらにさらに次元を降りて、自覚できる世界を作ろうとする働きが「う」だという。ここで、「働き」って何だろうと思うけれど、周藤さんとはせくらさんは「神」とは「働き」だということを述べている。

 

-------------- 再びここから

みゆき

 冒頭の後半は、「次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、つぎに神産巣日神(かみむすひのかみ)。この三柱の神はみな、獨神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき」と続き、そこから次々と神様が生まれ、伊邪那岐神、伊邪那美神に至るまで、全十七柱の神様がお生まれになります。

 この十七柱の神様の働きが、まさしく始原から次元降下させて降り立ってくることの象徴なのです。実はこれは人の「思い」についても同様で、脳内で「まだ言葉にならないけれども生まれてきたもの」という状態を示しているのです。

 

 中略

 

周藤

 十七柱の神々様が経ち現れるに従って、高次元から低次元へ降りていくと考えると、高次元の世界というのは低次元から見ようとしても、舞台裏のようになっていて見えません。

 自分たちが存在できているのは、高次元世界において大切な働きがなされているからなのだけれど、それは舞台裏になっていて見えない。その「働き」のことを神と呼ぶのですね。

 

みゆき

 そう、まさしく神とはその「働き」のことです。

 

周藤

 「なんだかすごい存在」ではなくて、大宇宙の中で生じた働き、高次元から低次元に天降る(あまくだる)働きを「神」と呼ぶ。

 これは日本独特の感覚かもしれませんね。宗教だとどうしても神は、自分とは異なる「すごい存在」だと思われがちですから。

 

みゆき

 神とゴッドは根本的に違うのですよね。

 日本人がもともと持っていた神様観というのは、奥さんも神だし、ご先祖様も神だし、動物も山も海も川も、そして、今お話ししているいわゆる神様も神というように、もう、「ありとあらゆるものが神である」というものなのです。

 つまり神は「森羅万象の奥にある尊き力」だということなのです。

 心臓は何も言わなくても動き続けて私達を生かしてくれる。太陽はお金を払わなくてもちゃんと光を届けてくれる。「ありがたいな、うれしいな」と感じることはすべて、神様の働きによるものだと考えます。

 そんな尊き神の働きが現れた存在として、「私」がいる。

 

-------------- ここまで

 

 こういう記事を書きながら、実は私自身、「言霊」について、まだピンときていない。「それぞれの神様の働きを表しているのが、それぞれの音」というのも、いまだひとつピンとこない。でも、これは、山本先生が呼吸書法の会で生徒さんたちに語っている「四十八の祖神(そしん)の言霊、これによってすべては生まれたのだという話」に発展していくのだろうな…と漠然と思う。

 最後におもしろい話を一つ…。「すー」の効用について…。上記、山本先生と保江先生の対談本から…

 

-------------- ここから

 

山本

 昨年、大村真吾さんという方にお会いしました。彼は、日本中のパワースポットめぐりをする旅行会社の社長さんです。

 大村さんがあるとき、ヒマラヤをインド側から登っていくツアーをやりました。そのとき彼は、4000メートルくらいの地点で高山病になって動けなくなってしまったそうです。彼は日本の国内も海外も、そういうパワースポットばかりめぐっている旅行会社の社長だから、だんだん感覚が研ぎ澄まされていっているのでしょうね。突然、言葉が降りてきたのだそうです。

 指を伸ばして、腕を上から下におろしながら、一息で「すー」と言う。これを4,5回やりなさいという声が聞こえた。それで彼は、もう動けない状態でありながら、その言葉に従って、なんとか「すー」と、4,5回やったら、高山病が治っちゃったそうです。

 それでまた登り始めたら、インド人の家族に出会って、「うちのおじいちゃんが高山病で動けない」と言ってきたそうです。それで、医者でもないのに、なぜ私に行ってくるのだろうと思いながら、今しがた自分がやらされたあれをおじいちゃんに教えたそうです。一緒にやろうと、「すー」と4,5回言ったら、そのおじいちゃんも元気になっちゃった。それで一緒に山に登ったという話を聞きました。

 

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 うそみたいなホントの話…。(あ、でも、高い山に行くときは、やっぱりちゃんと高所順応をした方が良いと思う…。「すー」は最後の手段でとっておいて…)

山本先生は、毎回呼吸書法の前に「すー」をやっているのだそう…。

まだまだ消化できてないけれど、今日はここいらで記事をup。