ラヴェルの「ボレロ」とともに… | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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分野は多岐にわたります。

こんなタイトルだと、音楽の話かと思いきや、実はそういう話ではない。最近、読んだ保江邦夫著「せめて死を理解してから死ね」にとてもおもしろいことが書いてあった。

 

 

 なんと、誰もが生まれてくる瞬間と死ぬ瞬間に鳴る音楽があるのだそうで、それがラヴェル「ボレロ」なんだとか…。そうなんだ…。やっぱり、あの曲は何か違うと思っていた。何しろ2つのメロディだけが延々と続く。それでいて、どんどん盛り上がり、決して飽きさせない。1年前くらいに偶然ラジオで聴いて、これだけシンプルな構成でいて、あらためてすっごい曲だなぁと思っていたところ…。ちなみに、どんな人にも、あの世への旅立ちの際にはこのボレロの曲は流れるのだそう。

 この話の情報元はスピリチュアル系の方々のバイブルとも呼ばれる「黎明」の著者の故・葦原瑞穂氏。彼が言うには、「きっとラヴェルは、その音楽が実際に彼の耳に聴こえていたんだろうね。だから、この曲を音符に落として作曲したんだよ」。つまり、ラヴェルのボレロがあの世で採用されたわけではなく、もともとずっと使われていたものをラヴェルが採譜したということらしい。

 

 うーん、ラヴェルも神がかっていたのか…。あの世の世界の音楽がラヴェルには聴こえていたということか。保江邦夫氏のどの本だったか忘れたけれど、「世界は光と音でできている」という文があった。音が世界を作るってどいうことだろうと思っていた。

 例えば、死の瞬間、魂が肉体から離れる瞬間、あの世とこの世の境界を含む空間が変容するとする…。その時に鳴り響く音楽…。ひょっとしたら、この世の我々には聴こえてこないけれど、あの世では音楽が空間を変容させているとか。いや、音楽と空間の変容はイコールだったりして…。そして…、他にもあの世で鳴り響く音楽ってのがあるのかもしれないなぁ…。

 

 そういえば、オコジョはドビュッシーがお好き という記事に書いたこと。御岳に登った時のこと、ドビュッシーの「夢」というピアノ曲を歌っていたらオコジョが出てきたということを書いた。その時、オコジョは何かを探すかのように、キョロキョロとしていたっけ。もしかして、あのメロディが空間を何かしら変容させていたりして…。決して、私の歌を聴きに来たという感じではなかったなぁ。実はドビュッシーも神がかっていたりして…。ラヴェルとドビュッシー、ともにフランスの音楽家だ。

 

 というわけで妄想は膨らむばかり…。ここでラヴェルのボレロを貼っておこう。死ぬ時にこのメロディが聴こえるのね…と思うと、何やら感慨深い。葦原氏のこの言葉とともに聴くのはいかがだろう。

 「死ぬことは、決して寂しく悲しいものではないんです。それにね、生まれてくるときだけが喜びなのではなくて、死ぬときだって喜びだし、楽しいものなんですよ」

 

 

 

追記(2020 2/7)

 今、ラヴェルのソナチネというピアノ曲を練習しているのだけれど、「ボレロ」はラヴェルのラヴェルらしい曲とは曲調が全然違う。「ボレロ」は全然違うなぁ…とずっと思っていた。本当に同じ人が作曲したのか…と思うくらい違うなぁ…と。この話を読んで、そういうことだったのか…と腑に落ちた次第。