自律神経と免疫の関係を研究した先生たちがどれだけ迫害されたか | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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分野は多岐にわたります。

 先の記事に挙げた「福田稔の気血免疫療法」という本には、福田稔先生の今までの歩みが福田先生ご自身の言葉で語られている。今日はその中から、自律神経と免疫の関係を研究した先生たちがどれだけ迫害されたかをメモしておこう。

 福田稔先生と安保徹先生が共同研究をする際に、学んだのが元東北大学医学部講師の斉藤章先生の理論だった。斉藤先生の場合はこんな感じである。

 

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 斉藤先生は苦学して東北大学に入って内科医になり、交感神経優位か副交感神経優位か、つまり自律神経のバランスで白血球中の顆粒球とリンパ球の割合が変わるという研究結果を発表した。ところがそれによって学内で異端視され、大学で講義できるのは月に1回だけ。講義の持ち時間も5分か10分。20分話したら檀上から引きずり降ろされた。それでもっと講義させてくれと訴えていた。その時代はちょうど抗生物質やステロイドが登場し、化学薬品のめざましい力が注目され始めた頃です。どんな病気も薬で治るのに、何を古いことを言っているんだという感覚でしょう。

 

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 こんなことがあるんだとちょっと驚く。先生を檀上から引きずり降ろすというようなことを学生の前でやったのだと思うと、その時の学生たちはどう思ったのだろう。

 

 そして、福田稔先生は気血免疫療法の前身の自律神経免疫療法を成功させて、忙しく多くの患者さんを診ていた頃、心不全で倒れ、バイパス手術で復帰後、うつ病に陥った。その時のことを次のように述べている。

 

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 うつ病が薬では治らないことに気がついた。だったら燃やしちまえと。自分は死んでもいいと思ったわけです。自殺するんだったら全部捨てようと思った。だから怖くない。殺すんだったら殺してみろと。初めは怖かった。いつやられるのかとその心配ばかり。自律神経免疫療法を始めて、効果を上げたら必ずお返しが来るぞと思っていたけれど、自分自身に来るとは思わなかった。それでうつが強烈になっていった。医学界の反応も含めて、どこからも追い出されたからね。片っ端から。

 

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 この本ではなくて、お嬢さんのなるりえ先生のブログで読んだのだと思うが、福田稔先生は自分の研究を進めるにつれ、抗ガン剤を投与できるとしている白血球数の病院の基準がとんでもないことに気が付いたという。その時の福田稔先生の言葉が「だめだ、これじゃ、患者が死んでしまう…。」だったと思う。

 裏を返すと、福田先生から見て、患者が死んでしまうような投薬を病院はしていた…ということだ。だから、福田先生や斉藤先生の研究はある人々にとって(といっても、大多数だが)とても都合の悪いことだったというわけだ。