私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 様々な分野にわたっていろんなことを書いていますが、本当は、今日ここに書くような「この世は、宇宙はいったいどうなっているのだろう」みたいなことが一番書きたいこと、書きながら学びたいことである。

 今日は久しぶりに「世界という幻」シリーズ。カタカムナの吉野先生の言葉は深い。今までに同じような内容を

 

目に見えない世界の話(9) 世界という幻 

目に見えない世界の話(10) 再び…世界という幻 それは科学の世界でも同じこと…

再び 世界という幻(3)中込先生の量子モナド理論では…

 

こんな過去記事にまとめたけれど、今日はカタカムナの吉野信子先生と不食の弁護士秋山佳胤先生の対談本「神聖幾何学とカタカムナ」から…。

 

 

   

 

 実はこの本は別の理由でずっと欲しくて目をつけていた…。きっと秋山氏の神聖幾何学の綿棒ワークについても書かれているのでは…と(著者のお一人秋山佳種氏は綿棒でフラワーオブライフなどの神聖幾何学立体図形を作られる。私もやってみたい…と思っていた)。そしたら、この本の中にもいわゆる「世界という幻」の話があった。やはり、それは真実なんだろうな…と思わせる。

 

------------ ここから

 

吉野

私も闇の世界の住人です。カタカムナというのは闇の世界です。光というのは物質の外側(目に見えるもの)を照らし出す力がありますが、内部には入れません。闇は心の中(目に見えない世界)を支配する力を持っています。

 すべての光の光源は、じつは闇そのもので、光は、球体内の暗闇から放たれて光になるのです。光から光が生まれるのではなく、闇から光が生み出されているのです。つまり闇と光の本質は同じ、閉じ込められているのか、解放されているのかだけの違いだけです。

 どちらのエネルギーが濃密かというと、もちろん中に入っている闇です。闇が光を生み出している---だから内側の核は常に「+」ですね。それがカタカムナの原理です。

 

中略

 

 その奏でた私の振動が闇を揺り動かし、殻を破って光となり、外側に開放され、私の振動する光によって、私と統合した人々(あなた)を照らし出します。そればかりか、私の闇(心)から出た美しい光は、天の空間に拡がり、すべてを照らし出します。それが天岩戸(暗闇)の扉を開いた天照大御神という太陽神のお話です。だから太陽というのは、本当は外ではなく中(岩屋戸)に存在するのです。

 光を出す太陽の光源はすべて内側、私の心の中にあります
 

秋山

昔からインサイドサンといいますね。太陽というと朝拝むように外に見ていますが、私たちが外に見ているものは、実は全部内側にあるということですね。

 

吉野

内と外は合わせ鏡になっているので、外の太陽はじつは内側の鏡の虚像であり、空も、雲も、月も星も、そして宇宙さえも、本当は内側にあって、それが意識で循環しています。永遠循環というのは、内と外が循環することです。外にあるものが内に入らなければ循環できませんね。そうでなければつながりません。それは内と外が同じだということです。それが神道でご神体が鏡だと言う意味です。

 どちらが実像で、どちらが虚像かというと、内側にある「命」「心」が本物で、それが核です。私たちは外の光で照らし出された世界に生きていますが、じつはそこは虚像の世界です。心がすべての生命の原動力です。

 外の世界で自分の人生を生きていると思っているのは、すべて、自分の心が感じた心の軌跡です。心の中にしか人生はないし、自分が感じたものしか残らないのです。命を生み出しているのも、肉体を再生しているのも、じつは生きたいと思う心の働きです。すべての生命、命が動く原動力は自分の中にあります。地球が動く力は地球の核にありますし、太陽系が動く力は太陽の核にあります。

 すべて中が外に影響を与えて動いていますから、神は中に、そして秋山先生が交信されている宇宙も命の中にあります。宇宙は外にあるのではなくて、それは中にあるものの投影なので、宇宙とコンタクトしたかったら自分の中にアクセスしましょう。

 

秋山

すばらしい。昔からミクロコスモス、マクロコスモスという概念があります。私たちは意識が外側に向きすぎていたのですね。内側にあるものが真実で、外側にあるのは虚像だということですが、言葉で表現すると言葉の制約を受けてしまうので、そこは自分のイメージ力で補って感覚でつかむことが大事です。

 その感覚でつかむときに、モデルであるかたちがあるとつながりやすいですね。内側に真実があり、外側が虚像だとすると、内側に光源があり、その外に想念というフィルムがあり、外側に光源から照らされたスクリーンがあり、スクリーンに映った像を見て、私たちはその像が本物だと思い込んでいるのだと思います。

 

-------------------- いったんここまで

 

 私たちが見ている世界は虚像であり、幻である…。これは過去記事にいくつかメモしてきたことである。今日のこの話のさらに奥深いところは、外の世界を照らし出す光は自分の振動から放たれるものだという話。その光源は自分の中にあり、おそらく、自分の心の持ちようで、放たれる光の周波数も変わる。そして、見えてくる世界も変わる…ということなのだろう。

 神道でご神体が鏡である…ことの意味が何となく伝わる。神頼みする前に自らの内側を観よということでしょうかね。「神は内側にある」と吉野先生は述べていますね。

 

 外と内が循環している…というのは、今一つピント来なかったけれど、以下の時間の話を読んだら少しわかってきた。今、過去、未来をこのように捉えるカタカムナの世界は興味深い。

 

-------------------- 再びここから

 

吉野

みんな見えているものが本物だと私たちは思っています。でも闇の中(心の中)で生み出された振動が「今」という世界で、それが開放されて外に出た世界は、つまり、その光で見えているものはみんな「過去」なんです。過ぎ去ったものです。

 ですから今に生きるという「今」という瞬間は、心の中にしかありません。現象化してしまった過去を見聞きし、いろいろな人の反応を見ながら、それをどう思って心が振動するかが、今のエネルギーになっていて、それが自分を生かしています。それは全部心の中の今の振動によって起こっているのです。

 本質というのは中から出てくる光(実際は闇から出る光)なので、それが外に出たときに現象を起こします。現象は過去なので変わりませんが、次の思いの中の「今」が変われば、次の過去が変わっていくという世界です。

 だから私たちの今と過去は、同時に内側と外側にあるものです。

 今は思いの中、見ているのは起きてしまった過去、過去に何が起こったのかを見ながら今の思いが生まれてきています。

 

 もし、自分が幸せになりたいという現実を作りたいと思うなら、「私は幸せになる」という今を作れば、次の過去が幸せになっていきます。今が過去を作っているので、今はまったく自由なのです。自由(ジユウ)は「十(ジュウ)」に通じ、今どう感じようと自分自身の自由です。ちなみに「ジュウ」の数霊は「33」、sun・sunという太陽の数霊です。

 先ほどお話しした「陰と陽の一同士が叩いた形(命)」、つまりバチッという振動の「十」ですね。それをどう感じてどんな振動を産み出そうが、まったく私の自由です。それを般若心経では「観自在菩薩」といっています。つまり、今を自分の思い通り自在に観て、振動させれば次の過去が変わるのです。そして菩薩とは、常に、よりよく生きようともがきながら修行している私たちのことです。

 

 では、「未来」はどこにあるかというと、つまり、今の中でチャージされた振動(光)が外に放出されて過去になれば、その光の振動はなくなっていきます。振動をなくし、萎んでいく光の残像…つまり内側の闇に帰っていく古い過去(光らなくなった光)のことを私たちは「未来」と呼んでいるのです。

 なぜならその残像こそが、今の中に戻ってきて再び振動をチャージされ、光の光源(闇)となるからです。そして光は過去として復活します。だから未来というのは振動していないので、本当は存在しないといっていいと思います。

 未来をよく予言する人がいますが、それは、もしこのまま今の振動が引き続き変わらなければ、そうなるだろうと予想しているだけで、今は自由自在(観自在菩薩)ですから、変えようと思えば未来はいつでも変わります。今が変わると未来も変わる。同時に過去も変わるという図式です

 その循環が生命の循環です。それがカタカムナの基本概念です。

 これを理解すると、過去にも未来にも縛られることなく、私たちは自分の思うように生きられます。

 

------------ ここまで

 

 私たちの見ている世界は過去。自らの内部から放たれた光が映し出す過去。それを見て、私たちの心の中に「思い」が生まれる。その「思い」があるのは今。

 こんなことを読んでいると、昨今、きな臭くなっている世の中も私たちの思いで平和で豊かな世界に変えていけそうである。憲法改正だとか、そういった世の中の動きに、声高に反論するだけでなく、いや、逆に声のトーンは落として、愛を持って静かに平和を祈る…そういった行いが十分私たちの世界を変えていくのかもしれない。

 どこかで読んだこと(気功の本だったかな…)。「戦争反対!」と声を荒げている人は、結局自ら争いをしていると…。そんな人には戦争は止められない…と。真実はどうだろう。