今日は28日(火)です。昨日良い天気☀でしたが、一転、今日は朝から雨☂です、一日、降ったりやんだり。気温も16℃くらいしかありません。
昨日は、特に何もすることもなく・・・ 食料品の買い物に一度出かけただけ。世はブラックフライデーなるもので賑わっておりますが、私は「どうしても必要なものがあり、それが今安い!」のであれば購入したいと思いますが、特に今、必要なものはないため何も買いません。サイトを覗くと安さにつられて余計なものを買ってしまいそうなので…

さて、本題。見出しの11月19日(日)~23日(木)4泊5日の、山口県広島県への旅行記。

今回は、3日目11月21日(火)の行程を
地図の黄数字③ 走行距離 91km


 

長門湯元温泉9:00~移動28km(30分)~9:30萩城下町巡り(高杉晋作生誕地+木戸孝允生誕地+旧萩藩校明倫館)~移動3km(10分)~12:15松陰神社・松下村塾・(昼食)・伊藤博文旧宅+吉田松陰生誕地~移動35km(45分)~14:35秋芳洞~移動2km(5分)~16:00秋吉台展望台~移動23km(35分)~
17:00湯田温泉 湯の宿 味の宿 梅乃屋(泊) 


です。ホテルからの眺め。今日もいい天気のようです。

 

まずは朝風呂へ。昨晩と男女入れ替えで、男湯華清湯です

 

泡風呂 (露天は昨晩とほぼ同じなので省略)

 

これが、楊貴妃が入った風呂を「再現」した貴妃湯だ!

 

朝食です

 

ホテルチェックアウトして、国道191号東へ進み

 

に到着

 

まずは、萩城下町を歩きます 1604年毛利輝元が築いた萩城の城下町です
 

高杉晋作立志像 明倫館で学びながら、松下村塾吉田松陰に師事しました

 

高杉晋作生誕地です 奇兵隊を結成し、倒幕戦争の中核を担いましたが、28歳の若さで病死しています

 

写真や書、句碑、産湯に使った井戸などがあります

 

白壁の道をさらに進みます

 

萩博物館まで行きましたが、中には入りませんでした
萩城下町の歴史と自然を展示する博物館で、入館料は1人700円

 

再び萩城下町を戻り、

 

木戸孝允生誕地へ 桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われました
ここで20年間を過ごしています 

 

誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています

 

明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛大久保利通らと薩長同盟を結び明治維新に尽力しました

 

五箇条の御誓文の起草、版籍奉還廃藩置県などの推進に功績を残しました。

明治10(1877)年西南の役の途中で45歳病死しています。


次に、向かったのは高杉晋作・木戸孝允らが学んだ長州藩藩校明倫館

1719年創建 

 

明倫小学校(明倫学舎)の入口

明倫館は現在はなく、敷地内に1885年明倫小学校が建設され、2014年まで使用されていました。

 

入ってすぐの1号館無料

 

校長室

 

教室

 

廊下

 

有料エリアの2号館にも行きます

 

日本の発展には工業化が不可欠でした 長州ファイブの活躍がありました

 

僭越ながら、私も仲間入り!

 

その工学教育の立役者が吉田松陰だったのですね

 

そして、①萩反射炉、②恵美須ヶ鼻造船所跡、③大板山たたら製鉄遺跡、④萩城下町、⑤松下村塾5つが、「明治日本の産業革命遺産」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されています

 

明倫館を後にして、

 

次に向かったのは、松陰神社 

吉田松陰、および彼の門人である伊藤博文山縣有朋はじめ、松下村塾の生徒を祭神とする、学問の神

 

案内図

 

境内にある吉田松陰1854~1855年に幽囚されていた旧宅 

鎖国下の日本で密航を企てたことが原因だった

 

境内にある松下村塾

 

吉田松陰は、ここ松下村塾1856~1858年までの27~30歳までの間、明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた、精神的指導者・教育者だった。


次に向かったのは、そこからほど近い伊藤博文旧宅
長州ファイブの一人である伊藤博文は、1854~1868年までこの家を本拠として、松下村塾で学びます

 

その後、兵庫県知事になり、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪し、帰朝後1885年初代内閣総理大臣になり、1909年満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去りました。

 

こちらは、東京より移築した伊藤博文別邸です

 

お腹が空いてきたので、昼食松陰神社の境内にあるお店で

 

なかなかの味のある店内

 

松陰うどん660円

 

そして、ほど近い(約1㎞)ところにある吉田松陰生誕地

 

 

何も残っていませんが、当時の旧宅の間取りを示す敷石が復元されています

 

1859年、大老として幕府の実権を握っていた井伊直弼がアメリカと日米通商条約という不平等条約を結びます、幕府に反する思想(尊王攘夷)を持った志士の一人であった吉田松陰は、安政の大獄により幕府により処刑され、わずか30歳の短い生涯を終えたのです。


 

を後にして、県道32号南下し、向かったのは秋芳洞!
日本最大規模で、秋吉台地下100mに位置します

龍河洞(高知県)、龍泉洞(岩手県)と合わせて日本三大鍾乳洞の一つ

 

チケットを買って、

 

洞の入口です 

 

洞内の総延長10kmを超え、約1kmに及ぶ観光コースが設けられています

 

 

棚田を思わせるような百枚皿

石灰が溶けて、水が蒸発し、石灰が壁を作ることを繰り返し形成されました

 

石灰が溶けてつらら状になった黄金柱

 

クラゲの滝のぼり

 

い~や~圧巻でした!

 

 

秋芳洞「あきよしどう」と読みますが、位置する場所が美祢市秋芳町(みねし、しゅうほうちょう)のため、現地では「しゅうほうどう」と呼ぶ人もいますが、正式には「あきよしどう」です。

 

駐車場に戻る途中でソフトクリーム

 

食べます!

 

そして、本日、最後の目的地の秋吉台(こちらの「よし」は「芳」ではなくて「吉」です)へ
美祢市の中・東部に広がる日本最大級カルスト台地
1955年国定公園(秋吉台国定公園)に、1964年特別天然記念物に指定

 

石灰岩などが雨水地下水によって浸食されてできた台地で、地下秋芳洞などの鍾乳洞が散在しています

 

秋吉台カルスト展望台に上ります

 

展望台からの眺望です

 

せっかくなので、秋吉台カルストロードも走ります

 

ところどころに石灰岩カレンフェルト(墓石地形)が見えます

 

国道435号に進んで、本日のお宿に到着です

 

フロント

 

ロビー

 

お部屋

 

窓からの景観 湯田温泉街 JR山口駅のすぐ近くで市街地にあります

 

まずは温泉

 

温泉分析書

 

2種の温度の違う源泉をあわせているようです

 

内湯

 

 

露天

 

そして夕食 お品書き

 

前菜 2種

 

椀物

 

造り

 

煮物

 

炉もの(天然黒アワビ踊り焼き)

 

鍋物(自然薯鍋)

 

食事(雑炊)

 

水物

 

今日も、美味しく頂きました! 雑炊反則級うまかったです!

こうして3日目は終了です

この日の歩いた歩数は、16,756歩でした。