自分以外の人が、何を考えているのかはわからない。
自分でも、自分のことがわからないことさえある。

SUPER BEAVER「人として」という歌にはこんな歌詞がある。

人は騙す 人は隠す 人はそれでも それでも笑える
人は逃げる 人は責める 人はそれでも それでも笑える
あなたに嘘をついて 後悔をした
僕も騙されているかも しれないけど
疑って 暴くよりも 嘘ついた人が気付いて
傷付いて 解るほうが いいと思うんだ


福山雅治「道標」という歌にはこんな歌詞がある。

人に出会い 人を信じ 人にやぶれて
人を憎み 人を赦し また人を知る
風に吹かれ 泣いて笑い 生きるこの道
貴方の笑顔 それは道標


人はだれもが孤独生まれるときも死ぬときも一人。
だから、誰かを求めてしまうのだ。
でも、相手がその時その時に何を考えているのかは、たとえ長年連れ添った夫婦でさえ、本当のところはわからないものだ。

以前、少年院に勤めておられる方のお話を聞いたことがある。
その方は「私は言葉で人を評価しない。行動で評価する」と言った。
どんな言葉を言うかということよりも、どんな行動をするかを重視するということである。

偉そうに文句ばかり言うくせに仕事がともなわない人より、いやなことでも黙々と仕事に取り組む人。
人の「心」「本質」は、自然にその人の行動となって現れる。
言葉では嘘をつけても、行動は嘘をつけないということ。
その行動も一時的ではなく、継続的なものでなければならない。

「身だしなみ」も「整理整頓」も「時間を守る」もすべてが行動で、それこそがその人の「本質」
1日2日ではなく、何年もかけて身についたもの

わたしは その手が好きです
ただ毎日をまっすぐ生きて
わたしたちを育て旅立たせてくれた
あなたの その手が好きです    ~福山雅治 道標より~  
 

長年、我が子を育て上げた母が何を思っていたのか、
長年、連れ添ってきた妻が何を思っているのか、
本当のところはわからないが・・・

コブクロ「永遠にともに」という歌の歌詞にあるような、


 

共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い・・・


という

私と母、私と妻との行動はまぎれもない事実「本質だ。