「心の瞳」という坂本九の曲の歌詞に込められているのは、
妻との永遠の愛、家族との永遠の絆である。
1985年5月にシングル「懐しきlove-song」のB面として発売されたが、同年8月、東京でのNHK-FMの収録を終えた後、大阪に向かうために搭乗した「日本航空123便 墜落事故」で亡くなった。
結果的にこの曲は、坂本九の遺作となってしまった。
坂本九はこの曲のレコーディング後、いつもは聞かせない家族に、一番に聞かせたそうだ。
そして妻の柏木由紀子に「ユッコ、今度の曲、絶対気に入るよ!
すごくいい曲なんだ。これは僕たちの歌だよ」と言ったのだそうだ。
私も結婚して30年になる。3人の子どもに恵まれ、今は3人とも大学を卒業して自立した。
楽しいこともあったが、つらいこともたくさんあった。
妻と二人で助け合って乗り越えてきた。
というより、自分にとってはもったいないほどの妻のおかげで、
今があるのだと思う。
1番の歌詞の中に「たとえ あしたが 少しずつ 見えてきても」「それは 生きてきた 足あとが あるからさ」というのがある。
あしたというのは、いずれ訪れる「死」を意味していると思うが、それは当時43歳の坂本よりも今の自分によりぴったりくる。
1番の 「君だけが いまでは」 「愛のすべて 時の歩み」
「いつも そばで わかち合える」という歌詞や
1番と2番の最後の 「いつか 若さを 失くしても 心だけは」 「決して 変わらない 絆で 結ばれてる」という歌詞には、
私も心の底から共感するし、妻にも「同じように思ってほしい」と願う言葉である。
「コンサートの最後に歌う曲にしたい」と作られたこの曲は、
結局、コンサートで披露されることはなかった。
今では「合唱曲」として広く歌われている。
暖かくも切なく、愛する家族のためだけに歌われた「心の瞳」は間違いなく永遠の名曲。
普段は照れくさくて、お礼を言えない私が、感謝を込めて
妻に捧げたい曲なのである。