4年前のこと。
世間はコロナ禍で閉塞感に包まれていました。
聴神経腫瘍の手術をしてから2年後のことです。
この時は「聴神経腫瘍発覚」 ⇒ 「入院・手術」 ⇒ 「片耳生活」 と、
僅か半年余りの中で、これまでの地味で平凡な人生の中ではなかった晴天の霹靂のような出来事を経験し、その2年間という短い期間に過ぎていった何かと目まぐるしい日々の中、ちょっとぐったりした日々を送っていました。
何か燃え尽きた感にとらわれてしまったような....。
辛いような、苦しいような気分で。
何かについて考えたり、何かについて書くということもできず、ここ数日の間呆然として過ごす日々を繰り返していたような気がします。世間がコロナのために閉塞感に包まれていることもありますが...。
これから、自分と世の中はどうなっていくのか。
その頃にはこのブログへの投稿も400回を超えていました。
まぁ、こんな駄文を400編以上も書いてきて何かの役にたったのかなぁと思うことも(^^;
少なくとも人様の役には立たなかったと思います。
でも、自分の中のモヤモヤを文字にして吐き出すことは、精神のバランスを保つ上では役に立ちました。
そうでなければ、今現在の、ほほんと生きていられる自分はなかったなぁと(笑)
そして、1年間の休学ののち、大学院に復帰して修士論文を書いていたその頃、大量の参考論文や文献を漁っていて知ったのが「障害学」という学問があることでした。
社会・文化の視点て何?
この”学問”によれば、「障害」というものの捉え方として、個人的な”属性”としての身体や精神などの”欠損”(私の場合だと”片耳が聴こえない”ということ)である【インペアメント(impairment)】と、社会の中で受ける不利益や制約である【ディスアビリティ(disability)】とに区別するという考え方があります。
”片耳”なので聴こえにくい、音のする方向がよくわからないというようなことは、私の「個人的な属性」であり、これは「インペアメントの問題」です。
そして、他人に何度も聞き返すのは抵抗があるから、聞こえなくてもわかったフリをする。その結果、とんちんかんな受け答えをして”へんなヤツ”だと思われたり、面倒だからと仲間はずれにされたりすることが、「ディスアビリティの問題」ということになります。
この時、片耳になって2年余り、正直なかなか慣れませんでした。
そして、この先慣れることがあるのかという不安を払拭するために、先人が築いていた学問的なしっかりした拠り所を求めていたのだと思います。
我々中途片耳難聴者は、生まれつき片耳という人たちとはまた違った悩みがあります。
人生数十年過ごして来て、ある日突然の片耳難聴になってしまうことは、それを乗り越えるにも「リクツ」が必要なのです。
自分と向き合うことにも何かしらの”武器”になるものが必要なのです。
自分自身に感じる不自由さと、周りの人との間に感じる不自由さ・疎外感。
社会の中で生まれる「障碍者」というのはそういうことなのかと、納得したような気がしていました。
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