お隣りが若い男性に代わって安心しきってたもんで
初めて見る若い女性だったことに序盤相当動揺してしまったが
こんな場合に動揺すらしなくなったら
私はもうオシマイ 枯れたってこと だからまだセーフ
と自分を慰める

この花束もずいぶん前のことになってしまった
先月はディズニー行きから始まる土日ずっと予定が入ってて
この花束の後のお通夜で気力体力ともに使い果たしたか
だましだまし来ていた風邪に結局やられてしまい
下旬は久しぶりに風邪っぴきらしく
とはいえじっくり養生するなんて無理な話で
だらだら長引かせてしまった

体調のせいか 予定が多過ぎたせいか
ディズニーも 恩師と会ったことも この花束も
ずいぶん前のことに思える 数ヶ月以上前のことに

テレビのニュースはそれなりに観ていたはずなのに
ドイツでの惨劇を おとといまで知らずに来てしまったことに
そして それまでも半分くらいは思っていた
あのような旅はもう二度と出来ないかもしれない という思いが
完全なものとなって 「かもしれない」を失ってしまったことに
軽く使いたくはない言葉だけれども 絶望した

相方も知らなかったから
そういう報道のされ方だったのではないかとも思う
年始は火事のニュースばかり観ていたような気がする

さっき 珍しく というか 久しぶりに
相方がスポーツニュースで海外サッカーを観ている姿を見た
実際は 久しぶり ではないのだろうが そう感じた そして
欧州各国の選手が 欧州各国のリーグで
パリSGも こんな風に 変わらず 試合をしている
という現実がある限り 私も 悲観してばかりいないで
日々の暮らしを繰り返して行くしかないんだな と思えた


もっとここ使えば良かったね
なくなってしまうからこそ思えたことなのかもしれないが
息子が生まれる前から 数え切れないくらい来た場所が
あっけなく なくなってしまうというのは
やはり 平気ではいられない

ドイツは 日本と違って
いつ行っても変わらない と信じて来た
地震も来ない 津波も来ない
だからあんな高層建築が何百年も変わらずそこにある

息子には どんな形であれ
一度は国外に出て欲しい と思って来た
今もそれは変わらない と言い切りたいのに
今はもう 生きていてくれればいい それだけでいい
昨夜だったか あれ 最後どうなったんだっけ と思い出そうとして
まだ終わっていない 最終回が今日だった ことを思い出した

物語というのは
作者が自分の何かを表現するために
登場人物を死なせることがある
そういう必要があることもあるのだ と
やっと理解した
『ノルウェイの森』でもまだ納得出来なかったことを
ようやく理解しました

この作品において作者の言いたいことを
ある程度は「良く」読み取れた と思う それは
『シティ・ハンター』を観ていた私にはわからなかったことで
『シティ・ハンター』には描かれていなかったことかもしれない

観ていて
自分が冴場リョウをすごく好きだったことを思い出し
自分の好きなキャラクターを
自分の好きな俳優が演じるなんてことは
もう二度とないだろうと思った
上川隆也さんは本当に本当に素敵で
私にとっては完全に 『エンジェル・ハート』の冴場リョウになった
『シティ・ハンター』のリョウは おそらく
あの漫画とアニメの中にしかいないし もう出て来ないだろう


熱を出させてしまった時点で親失格なのかもしれないが
子供というのは 本当にかわいくて 本当に大切で
こんな親でも 親として無条件に付いて来てくれることを
ありがたく 申し訳なく 思った
同時に まだ2歳だからこうやって付いて来てくれるわけで
あっというまに こんな風には付いて来てくれなくなる
そう思うと余計 大変ではあったが 楽しく幸せな想い出になった
私の青おに ~山形発地域ドラマ~

20分までは
こういうの観たかったんじゃない
『風のハルカ』みたいな
明るくて元気の出るようなのが観たかったのに
これじゃエリさんの魅力も出てないんじゃないの
なんて勝手なこと思ってたけど
ラストのラスト 絵本の扉 じゃない 見返しというのか
のシーンでは やられた~ と思った
ワインの件も 予想できた台詞だったけど ほっとした

のだけど 高畠町に果物製品以外は縁の無い私は
『スウィング・ガールズ』みたいに
冒頭の景色観ただけで号泣 なんてことはもちろんなく
『S・G』の舞台も縁の無い街なんだけど それはともかく
方言も中途半端だったし それはまぁ差っ引くとしても
なんというか こんなもんか という印象は否めなかった
ラストの絵本の見返し? 以外には
驚きというか 私の想像を裏切るものがなかった

『風のハルカ』が大好きだった私としては
ハルカと万里子の共演は 無条件に嬉しかったけど


今日の大喧嘩が息子にどんな影響を及ぼすか
今はわからないし
これから挽回していくしかない
恐れていたことだが やはり
自分の身体の波を押さえ込むことが出来なかった
それをよく知っているはずの夫が これもやはり
正しい対応をしてくれなかったことが 一番堪えた

母親として わかってる でも
母親である前に 母親になる前から
私は私であり
母親なんだから は 酷な時もある

父親とならすぐ寝るんじゃん
なら毎晩そうしてくれよ
あの時間がもったいないんだよ
後になって あの時はなんてことを
あの贅沢な時間を もったいなかった
と後悔するのはわかってる
既に 少し前の自分について
そういう後悔をしているから でも
幸福感がいつまでも等しく続くわけじゃない

ほんでも独りの時間って長いな まだ0時
布団に入っていくと起こしてしまうから
就寝時刻を遅らせている というのも
いくらか本当なのに

先生からヒントもらったのでちょっと考えた

この作品の奥底の「良さ」は
「大人」だからわかる と 私も思う
成人までいかなくてもいいんだけど

私この言葉初めて使う気がするけど
「無垢」が
この作品はもちろん 他の2作も 『かげぼうし』も
ポイントというか「キモ」なんだけど
『はなしたよ』以外は 「無垢」の良さが
子供でもわかるおはなしになっていて
それを私は「ちょうどよい」と感じたのだと思う

でも 『はなしたよ』は
「無垢」を失った大人=私に
あぁ 私はこの「無垢」を失ってしまったな
と痛感させるので
その寂しさというか 懐かしさというか
今は完全に失ってしまったものに対して
泣けてしまうんじゃないかと

いくらかは合ってるけど
たぶんだいぶ違ってる

クマくんは自分の言葉のこだまを
お月さまの言葉だと信じて疑わない
その「無垢」な心が

とかなんとか言い出すことが
「無垢」への冒涜みたいに感じるから
もうやめる(笑)
読み慣れて泣けなくなって来たし


帯に書いてあることを最近やっと理解した
逃げるページは前からだが 最近になって
袋をかぶせるページでも笑うようになったからで
あ~ こういうことか と腑に落ちた

だから 『はなしたよ』にも
今の彼にわかって私にはわからないことが
あるのかもしれないから
私は ただ読むだけでいいんだろうな


『尼僧と』の中の
「センセイ」が「ベルンハルト」に変身した時の「驚き」が
今は好きだ 前はそれほど感じなかった件だけど 最近になって

「瓦礫の山」ではぜんぜんないけど(笑)
「先生」が「父親」に「変身」 したわけでもないけど(笑)
でもやっぱり ちょっぴり いや だいぶ 動揺した(笑)

久しぶりの絵本購入 3冊とも持って上がって


最初に読まされたのがコレ
ページが抜けてると思って買い直したというのもあったんだけど
なんと 抜けてはいなかった うーん 間ワンステップ欲しいところ
雪は抱っこされて眺めた程度で まだ雪遊びを知らない彼だが
「10,9.8,7,...」のカウントダウンがあるので
それだけでつかみはOKだったみたい


最後に読まされたのがコレ
数日寝る前に読んでたから もう決まりになってるのかも
「かくれんぼしましょ」の後は どこで憶えたのか
「よっといで」ではなく 「あっぷっぷ!」と言う
これも「1,2,3,4,...」のカウントアップがあって
なぜか最初のは英語で読み始める

この2冊は最初から借りていたこともあるし
数字が出て来ることもあるし
話が なんというか 簡単で「ちょうどよい」 と
今は 相対的にだが 思う


2番目に読まされたコレ
やまびこを知らない 誕生日もまだ理解していない彼にとっては 
後から借りて来たこともあり まだ馴染めないらしく
読み始めると本から目をそらして どたんばたん動き始める
でも「読むの止める? 読む?」と聞くと「よむ」と答えたので
最後まで読んだ 特に嫌がる様子はなかった

なぜ泣けてしまうのか 何が私を泣くまで揺すぶるのか
言語化してみようかと思いかけたが 止めた
読み聞かせるのが楽しくなくなるような気がしたから

課題図書ということは読書感想文の対象だったのか
この作品で読書感想文を書くのは
そもそも 読書感想文を書くということ自体
やっぱり 抵抗があって 未だに拭い切れない
作品論みたいなもの いくつか書いてるくせに

算数や 「答えが無い」というタテマエの国語であっても
全問正解することを目指して来た私にとって
自由作文ではない 明確に「課題」が置かれている
読書感想文とは 「正解」するもの という思い込みを
どうしても拭えない のだろう
賞を取った 誰かの読書感想文を読むことも
なんとなく避けて来たような気がする
ヒドイ言い方だが 生理的に受け付けなかった のだろう

もっと書きたかったが 夜泣きが始まってしまった          (01:00)


読み返すと矛盾してるなぁ

「正解」を目指すことが「得意」だったのなら
自由作文より読書感想文の方が「得意」そうなものだけど
反対だった
子供心にも「うまく書く」ことの「クササ」を感じていたのか
自分が書くものだって他人からすれば同じなんだけど
大人の手が加わったようなユートーセーな文章
を書けるほどシューサイではなかったくせに

うちの親は工作以外は手伝ってくれなかったから
ヤッカミもあったのかもしれない でも
夏休み終了ギリギリまで手を付けなかった工作を
手伝ってもらえただけ幸せだったんじゃんね と今は思える
読書感想文ではなく工作を選んでたってことだから
よっぽどヤだったんだな 私にとっちゃ究極の選択だもんな

もう少し大きくなったら 読み終えた後に
感想を聞くべきなんだろうか
なんか違うような

作品論もそうだし 言語ってもともとそういうものだけど
感想を述べる・書く と
そこで終わってしまう カタチになって固まってしまう
それでその作品はオシマイになってしまう 気がする

でも今の私なら
自由作文も 読書感想文も
賞を取ろうと思うな 思ったら負け 思ったら失格
と確信を持って言える
書道も 絵画も 工作も
どれもダメだった私自身がそう思ってやってたわけじゃないけど
算数で満点取るのとは違うんだって 今はちゃんとわかる

帽子が飛んで行ってしまう という件が
例のアレ 母さん 僕の帽子  を思い出させる
というわけでもない でも
ソレの時と同じ何かが引っ張り出される気はするな

息子がこの作品を卒業したら
先生の「感想」を教えて下さい
それまでは 頭では考えず 心で感じるように 読みます