去年の今頃は どんなことを考えてたんだろう

自分らの体調とか気分とか あとは天候とか

自分らの都合だけで動ける日々が終わってしまう不安が

大きかったかな

もちろん入園に向けての不安もあったけど

 

一年経って クラスの統合とか仮園舎での保育とか

一時的な新しい不安はあるのだけど それよりも

自分を取り巻く環境みたいなものと 何より自分自身が

ほとんど好転しなかったな という失望が

一番大きいかもしれない

 

本当に 友達の作り方を忘れてしまった

はじかれてるわけじゃないし 会話もそれなりにするけど

輪 の構成員になれない

これって なる「努力」が必要なんだっけか

努力してまで合わない話に付き合いたくない

なんて屁理屈こねたり ランチ会あっさり欠席したり

こちらも相当矛盾してるのだけど

 

この一年の口癖は「つまんない」だった

ちょっと気に食わないことがあると口を突いて出る

つまんないと感じるより先に口から出る感じで

本当にマズイなと思いつつ まだ治っていない

 

何が「つまんない」って

送り迎えが「つまんない」のであって 正確には

迎えに行って帰るまでの間の

かなり矛盾した孤独が待ち受けている苦痛な時間を

「つまんない」と言い換えてたんだと思う

実際はそこそこ楽しかったり 息子とぶつかって

「つまんない」どころじゃなかったりもしたのだけど

 

年長はともかく 年中ってのは どんな一年なんだろ

年長と比べて 年少と比べて どこがどう違うんだろ

と入園当初は疑問に思っていたものだったが

最近になって 年少と年中との差や違いが

よく見えるようになった

年少はまだ 自分らの都合だけでどうにでもなった頃の

息子に近いけど

年中はもう 年長や 小学生の方に寄って行くのだ

親さえいればいい状態から 既に抜け出しつつあるし

体格も行動も ただカワイイだけのコドモではなくなる

けっこう大きなターニングポイントらしい

 

今日 年少最後の弁当を作って渡して

それ自体には大きな感傷も感慨も無かったのだけど

いつか振り返って あの頃は良かった と泣くのだろう

今の私も 去年までの私達に戻りたい気持ちは薄れたけど

年少の一年間は やり直したい と思える

あんなに怒鳴らず スパルタも止めて

送り迎えがどんなに孤独でも

年少の一年間を やり直したい と思う

おそらくそれも もう少し時間が経ったら

やり直したい一年間が後ろにずれ込むのだろうけど

去年までの私がそうだったように

 

昨夜NHKのAIの番組を観てて 断片的にだけど

他人と比較しない人生の幸福度 というものを

改めて考えさせられた

先生が言ってくれたように 人間はそもそも孤独であって

毎度毎度群れたり 親の方がペチャクチャしゃべってたり

興味がないことに興味があるような顔をしたりして

「つまんない」と腹の底で舌を出すよりは

居心地が悪くても 独りでいた方がマシなのかもしれず

息子にとって楽しい一日であったなら

送り迎えの居心地の悪さなんて大したことないじゃないか

それより 更年期丸出しのイライラガミガミを我慢する方に

力を注いだ方が よっぽど有用なエネルギーの使い方だ

それに今は ピアノという避難場所もあるしね

 

毎日一緒にいると 息子がどのように成長したのか

具体的には説明できないもので 

細かい問題も多々あるのだけど

対外的には 担任の先生の言うとおり

「なーんにも問題ない」し

最近になって 親のサポートなしでやれることも増えたし

快活で 利発で 健康で

なんか文句ある? って感じだよね

 

ほんでも 子供のいる人生ってのは

自分ではなく 子供の時間割で進んで行くようで

自分の人生が まぁ年齢的に当然なのかもしれないけど

生 ではなく 死 に向かっている という現実を

実感せざるを得ない それがまた なかなかしんどい

 

子供ではなく 自分の時間割を刻むために

私はドイツに行かなければならない