開始直後の非難轟轟 ってこう書くの? 知らんけど(汗)

を聴いてて自分の感動を疑いそうになったが

なるべく聴き流すようにして文章を見返してたら

ふと気付いたことがあった


ちょうどその時うまく振ってくれた方がいて

振ってもらえなかったらだんまりのままだったと思う


先生が言ってくれたことを思い出して


恩師にだけは正確に伝わるように

頑張って話した


夫の失踪という

受け入れがたい事実を

受け入れたくない「わたし」と

受け入れ(させ)ようとする「ついてくる女」つまりもうひとりの「わたし」が

せめぎあう感じなのか


夫の失踪の理由を

「わたし」は知っているのかそれとも知らないのか

夫が女と会う場面を

「わたし」は見たのかそれとも想像に過ぎないのか

が明らかにされていない

ここがこの作品のキモなんじゃないか


というのも

私も「わたし」と同じことをしていると

非難轟轟の嵐の中で気付いてしまって


私があれやこれや思い悩む根源は

私が私の頭の中で考え出したこと が多いわけで


事実や現実と呼ばれること

を列挙していけば

すべて解決するんだろうけど


怖くて出来ない そもそも


あれは事実なのか

あれは現実だったのか

揺らいでくる


なにが ほんとうのこと なのか

「百」の気持ちも

「京」の気持ちも

だいぶわかる


時には

想いを断ち切るために

ほんとうは見てもいない

できれば見たくない ことを

頭の中に想い描くこともあるだろうと



出席者全員宛と 恩師宛と それからここと

3つ書いて

3つに分けてしまうのがズルいとこなんだけど


先生

文学っておもしろいですね

久々に? 思いました


言葉で伝えることは非常に難しい作業ですが

自分の中にはない言葉を返してもらう喜びを

久々に? 感じました


先生とも

こういう経験をもっとしたいです

こないだいただいた言葉は

CL決勝のPK戦より難しいです(笑)



書くことで

突き放せるものはある気がする でも

書いたところで

何かが癒されることなんてない


作中のあちらこちらにあれやこれやが重なってきて

ときどき悲しく

ときどき泣いた


まさに今 読むべき小説だった ほとんどが負の意味で