半分は 私の知らない話
半分は 私も少しは知ってる話
前者について 負の感情は抱かなかった
子を持つことをこんな風に感じ描く女性がいることに感動した
この手の話は型が決まっているというか
たいてい誰もが同じことを感じ表現するし
実際嬉しく感動的な出来事の連続なのだろうが
この方の表現の仕方はすごくいいと思った
後者について よくもまぁ毎度毎度
こういう時機にこういう内容を読ませる本の神様
いっぺんすらすらっと読んだだけでは
この方の言わんとしていること 世界観 などを
正しく読み込むことはできないけど
いつものことながら
どうしてこれがここに がたくさん書いてあって
おそろしかった
作品の世界にカラダ半分入り込んで
もう半分はちゃっかり自分の世界にとどめてあって
ここ数十時間 もしかして と思ってたが
ところどころで 泣いた 泣くことができて ほっとした
ちょうど20年前
真鶴という場所を訪れる機会を得ながら
わざと というかあえて 私は行かなかった
みんなとのキズナを深めるために
億劫がらずに行くべきだったかと少し後悔したが
当時の私には
みんなとのキズナを深めることより
故郷でだらだら時を過ごすことの方が優先された
今からすれば
自宅生と下宿生との価値観の違いもあったのかも
オカネをどう使ったらいいのかよくわかってなかった
五歩も十歩も先を歩く都会っ子の彼女が
ド田舎モンの私にいろんなことを教えてくれ
最後の最後にこんな私を「選んで」くれた時は
本当に本当に嬉しかった
私の記憶から落ちただけかもしれない
その少し後にあったらしい出来事を
今の私が羨むのは
完全なオフサイドだとわかってる
でもその時の私にとっては
ぜんぜんオフサイドじゃないって
気付いてやれるのは
思い出してやれるのは
今の私だけだ
羨ましいとか
妬ましいとか
キホン 無い 強がりでなく
けどこの一件に関しては
素直に羨ましい
死ぬまで羨ましいだろう
彼女は
私が持ってない記憶を持ってるんだから
アドレスが変わったこと
まだ言ってない
