ラスコーリニコフがソーニャに言う台詞がよくわからない。
わかろうとするためにはまず聖書、なところがもう腰引ける。
最近ほとんど見ない脚注ちょこちょこチェックしながら読むと
そうこれ、これが外国文学を避けて通って来た原因なんだよね、
聖書わかってないと何もわからないっていう。
今はまってる音楽ぜんぶ聖書がモトなのに
どうしても読む気にならない私に
文学も音楽もやる資格ないのかもしれないけど。
あたま洗いながら
第3部のうちこれは書いときたい
と強く思ったことがあったのだが
数時間したらやっぱり消えてしまって焦った
今ひねり出すと
第一の行為と
第二の行為とは
性質がまるきり異なるから
おもしろいしむずかしい というようなことかな
第一の行為だけだったら
話はもっとわかりやすかったかもしれないけど
第二の行為があったがために
それまで立ててた理屈が崩れるような感じがする
どっちかっていうと
第二の行為の方が
問題が大きいように感じる
第4部のプロコフィエフじゃなくてだれでしたっけ、
ポルフィーリイの理詰めは
おもしろいと思う。すごい! って感じ。
Amazon 掘って掘って ついに見つけた輸入版
Weihnachts-Oratorium も「2~5週間」に戻ってたから
ポチッとやったった!
らば Messiah だけもう発送されちゃった あらら
今のうち 手に入るうち 手に入れておきたい と思った
何事も最初が肝心なのはわかるけど
カウンターテナーは米良さんじゃないとダメなカラダになったみたいで
それがどういうことか なんとなくつらい部分もあるのだけど
とにもかくにも 手に入れておきたい と思った
自分を説得することは簡単そうだけど
他人を説得することより難しい
性格のヒネクレとか
肉体のコンプレックスとか
あたま洗ってて初めて気付いたんだけど
アイライナーが涙で溶け落ちてるみたいな顔になってて
いつも泣いてるように見えるみたいで笑っちゃったんだけど
それはともかく つまりは
「ありえなかったのだから」と
納得しようとしてみるんだけど
どうしても止める気にならない
酒は おもいのほか簡単だった
止めないと取り返しがつかなくなる「害」が見えれば
止めるって簡単なんだとその時わかった
そうそう この小説でも
「他人のためなら自分を捨ててしまえる」人を
主人公は強く非難してるけど
そう考えると私も
その「害」が他人でなく私自身を蝕むものなら
止めないんだ
下巻が終わったら
『ゾフ』読んでみよっかな。
おなかすいた。なんかたべよ。


