あたしは本当に
言葉で武装してる人間だなぁと思う。
ドロドロな自分が外に流れ出さないように
3つのブログを使って
必死に「壁」を作っているように感じる。
でも
本当に書きたいことは書けない。
本当に言いたいことは言えない。
不思議なことに
言葉は必要な時に向こうからやって来る。
『ノルウェイの森』もそうだったし
半分しか読めなかったけど『死の棘』もそうだったし
ずっと谷崎を好んで読んで来たこともきっとそうだし
今朝出会ったばかりのドイツ語もそうだ。
言葉だけが
時間と空間を超えて人と人とをつなぐことが出来る
と信じて生きてきたけど
「言葉を使わない想いの伝え方」があるように
「敢えて言葉では伝えない想い」もあるのかもしれない。
もちろんそれはこちらの都合の良い解釈に過ぎないのだけど
過去を
現在の自分の都合の良いように解釈して
未来へつなぐ
というのは生きて行くために必要な能力であって
ずるいことでも悪いことでもないのかもしれない。
過去は変えられないから
現在を変えて
未来が変わるのを待つしかない。
かつて母が私に
「こういう人になってほしい」
という想いを書いた絵葉書を渡してくれたことがあった。
探しても見つからないので正確な表現はわからないのだけど
たぶん今の私が
「こういう人になりたい」
と思っている人物像とほぼ一致していたような気がする。
人間は
自分の体も
自分の心も
コントロール出来ないことを
久しぶりに実感している。
弓道をやっていた時以来かもしれない。
その数年前
ある出来事に際して
「人の気持ちは変えられない」
と母に諭されたことがあった。
その時から
自分の恋とは実ることがないものと思い込み
一見そうではない振りをしながら実は常に受け身で
自分の気持ちに責任を持って生きて来なかったように思う。
自分の心をコントロール出来ない以上
責任も何も無いんだけれども
自分の心の空洞は
自分で埋めるべきで
自分を変えることは
自分にしか出来ないことで
相手は変えられないから
自分を変えて
関係が変わるのを待つしかない。
相方も私も
久しぶりに
自分のために
物を買った。
どちらも
自分を変えるために
もしかしたら役に立ってくれるかもしれない物で
私の買ったそれは
「人の気持ちは変えられない」
を思い起こさせる物でもあるのだけど
「言葉を使わない想いの伝え方」
を考えるにはとてもいい物でもあるし
「人の気持ちは変えられない」
と諭された時の私が持っていた物を取り戻すための物でもある。
母の表現とは違うけど
私の「なりたい自分」は
話していて楽しい
書いたものを読んでいて楽しい
そういう人かな。
生まれた家で
自分のために飾られた大きな雛壇の前に
ちょこんと座っている私は本当にかわいかった。
会ってみたいと思ってもらえるように。
また会いたいと思ってもらえるように。