「死」に対して不安を抱き、つらい〈過去〉を告白する、
という共通点を持つ直子と緑の決定的な違いは
ワタナベ君に対して〈未来〉を期待しているか否か
というところにあったように思う。
「幸せになる」ためには
相手に迷惑をかけることも相手を振り回すことも厭わない、
むしろそうすることが必要なのだと考えている緑の台詞には
次に会ったらこれをしよう・これをしたい
という〈未来〉へ向かう欲求がはっきりと出ている。
一方の直子は
ワタナベ君の「重荷」にはなりたくない
自分に構わず好きに生きて欲しい
と直接彼に伝えており、会話からも手紙からも
〈未来〉へと向かう欲求はほとんど感じられない。
直子の病状の悪化に伴ってのこともあるかもしれないが
ワタナベ君の書いた手紙の中の〈未来〉性も
直子宛のそれから緑宛のそれへと移って行ったように感じられる。
直子を生かすためにワタナベ君がすべきだったのは
悩みや、辛さや、寂しさや、欲望や、期待や、願望を、
包み隠さず伝え続けることだったのではないか。
自分の〈未来〉にはどうしても君が必要なのだと
強く訴え続けることだったのではないか。
彼自身が語っているように手紙は単なる紙切れでしかなく
たとえ手紙が失われていても残るべき内容は残る、それは確かだと思う。
しかし〈現在〉の報告の連続から
一体どれほどのものが直子の心に残っただろう。
自分のために時間を割いて筆を運んでくれたことへの感謝こそあれ
相手の内面を知り得ない手紙とは読んでいて淋しいものだ。
阿美寮では何でも包み隠さず素直に話すことがルールになっていた。
たとえそれが相手を「傷つける」ことにつながったとしても
長い目で見れば、それは必ず「回復」につながるのだ、と。
相手の素直さがもたらす「傷」など、大した深手にはならないのだ。
相手の気持ちが見えないことの方が、よっぽど心を蝕むように思う。
次第に緑宛の手紙に色濃く表れるようになった彼の素直な感情は
なぜ直子宛の手紙からは薄れて行ったのだろう。
〈過去〉と〈現在〉は共有出来ても
〈未来〉を共有出来ない・共有しようとしない関係には
文字通り〈未来〉は無い、ということか。
直子の目指した〈『公正』であること〉の中身が
ワタナベ君の「重荷」にならないこと
ワタナベ君に「迷惑」をかけないことであったのなら
やはりそれは間違った信念だったと言っていい。
阿美寮での共同生活のとおり、人は互いに助け合い
足りないところを補い合わなければ生きて行けない生き物であって
自分と全く等しい人間が存在し得ない以上
厳密に「公正」であろうとするなら
それはもう自分を殺すしか方法は無いだろう。
ワタナベ君の腕につかまっている限り
直子は「井戸」には落ちなかったはずだった。でも彼女がそれを
彼の腕につかまったまま生きることを
〈『公正』ではない〉と信じ込んでしまっていたのなら
彼にも救いようは無かったのかもしれない。

