
Dクンが言わんとしていたことが呑み込めて来た。
私が Hausarbeit をフツウに出来るようになるには
まだまだ長い道程がある。
そもそも終わりが無い道程であり
極めれば極めるほど面白味も出て来るのだろうが
その道に進むにはちょっと遅過ぎる気もするし
もしこの言い方が言い訳がましいとすれば
私が進むべき道では無いような気がする。
もちろん「暮らし」を形成するための最低限の活動は
きちんとすべきだと思うし
いままできちんとして来なかった私にとっては
全てが修行であり、全てに努力が必要なのだが
おそらくどれもコツさえ呑み込んでしまえば
短時間で効果的に終わらせることが出来るもの
なのかもしれない。極める必要が無ければ、という条件付で。
ステキな Hausfrau にはなり得ないことを知りつつ
相方は婚姻届にサインしたに違いないから
家が新しくなったからといって
何かが変わることを期待してはいないと思われる(笑)
事実、家が新しくなっても
訪問客があるわけでもなければ
料理が突然うまくなるわけもないので
独りで過ごす時間の内容は
アパート暮らしの頃とそれほど変わらないのだから。
掃除するようになったくらいか。 実は大大大革命☆
なのだが玄関回りとかまだ全く手付かずだからなぁ。
結局は
「時間の使い方」という命題に帰結するんだ、何事も。
「時間の使い方」とは恒久的に変わらないものではない
ということは私も理解している。
だから今やりたいことは今やらねばならない。
ここ数日「課題図書」を読んでいて
この手の話し合いについていける筋肉が完全に衰えていることに
ようやく気付いた。1年間のブランクはイタイ。先生ゴメンナサイ。
でも、筋肉が衰えてサッカーは出来なくても
違う筋肉を使ってベンキョーは出来るかもしれないよね。
Hausarbeit はフツウに出来るようになればいい。極めなくたって。
ベンキョーもそうなんだけど。別に極めなくたっていいんだけど、
でもこれってもしかして極めなきゃ意味が無い!?
「極める」と「他人から認められる」との間に入るべき記号は…
=? ≒? ≠?