
わかったこと:
アメリカでは10人に1人、日本では20人に1人が「読字障害」と考えられている。「読字障害」の原因は脳の「文字」を「音声」に換える分野がうまく機能しないからだとされているが、もともと人間の脳には文字のための専門分野が無く、仕方が無いのであちこちを連動させてどうにか文字を認識している。
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私がいま文字を読んだり書いたり出来ているのは「たまたま」に過ぎない。
「読字障害」と言われる人には美術や建築などでずば抜けた「才能」を発揮する人が多い。それは前述の左脳の特定分野の代わりに右脳の特定分野が発達しているからである。
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私が苦手とする空間認識、つまり物理学全般や数学の空間ベクトルなど目の前に無いものを理解出来ないこと、絵が下手なこと、さらには部屋を全く片付けられないという習性、これらも言わば「障害」である。
逆に、文学作品から問題を見出して考えたり、外国語を学ぶことを面白がったり、メールというコミュニケーション手段に異様に執着してしまったり、といった文字に関連する私の習性は、もしかしたら私に与えられた「才能」なのかもしれない。
社会はどうしても多数派が便利なように形成されてしまうので
「障害」を持つ人は不便を感じることが多いと思うのだけど、
不便を感じなくて済んでいるだけで、私も「障害」を持っている。
というか、みんな持っている。裏返せば「障害」なんてものは無い。
だから特定の「障害」だけ偏見や差別の目で見る人の方が変。
他の人に出来ることがなぜ私には出来ないのだろう…と考えると
私なんてこの世にいなくても…という方向に進みがちなんだけども、
出来なくて当たり前!みんな違うんだから。SMAPだって歌ってたじゃん。
人生に正解なし!ドイツに行った一番の収穫はそれだったじゃん。
でもこれって生活してると忘れがち。なるべく忘れないようにしよう。
昨日の説法の中で
「自動ドア、あれが本当に文化なんだろうかと疑問に思いますねぇ」
と言われた時、私は最初
「でもドアを開けて進むってことが苦手な人には便利なんじゃないの?」
と考えたんだけど、
そういえばドイツには自動ドアって少ない気がする。
どうしてるかっていうと、
ドアを開けて進むのが苦手そうな人が来たら、必ず誰がが開けてあげるんだ。
考え方が違うんだよね。
いまETV特集「里山保育が子どもを変える」を見終わったのだけど
これもまたすごかった。う~ん。そうか~。