参加中の「Visit Europe: ヨーロッパ・フォトコンテスト」、

右にバナーというのでしょうか、青いボタンを設置しました。


昨日、フライブルクのミュンスターの写真を追加しました。

一番最初に表示されますので、よろしければ見て下さい。



この先は非常にツマラナイ話なので決して読まないで下さい(笑)。



「メールが来ない」などという実に些細などーでもいい悩みに

この3週間振り回されっぱなしで、肝心要の修論計画が全く進まず。

幸いにも本当にヤバイ状態に陥っていることは自覚出来ていたので

思い切ってこちらからもう一度メールする決意をした。ふりきるために。


この写真は彼に直接送ろうと思っていたものだったのだけど

これだけ時間が経ってしまうと「思い出を小箱にしまっておく」という行為も

馬鹿馬鹿しくなってしまうものだ。寂しいことだけど。


現地でも書いたように、フライブルクのミュンスターは

何十枚撮っても撮り足りない不思議な撮影対象だった。

でもこの写真だけはなぜか非常に気に入って喜んでいたら

翌日このような事実が明るみになり、

そうか、だから美しく撮れたのかーなんてひとりで悦に入っていた。



この「どーでもいい悩み」をふと思い出した時の泣き方は

帰国日のヴォルフスブルクでの泣き方と全く同じなのが不思議。

つまりこれは「自分がこうなると信じていたことが実現しなくて

我慢ならない」ことを体外に吐き出して自ら確認する行為なのだろう。

フライブルクで先生と別れる時に流した涙の方が、ある意味

清潔で、本物だったように感じる。それは前者が

「このような悲しみに浸っている自分に酔ってまた泣く」という

不潔な要因をも含んでいるからだろう。


目の前に無い事柄について怒ったり悩んだり泣いたりすることは

生きる上でとても大事なことだと断言出来るし、

そういうことが出来ない、もしくは「くだらない」と切り捨てられる人は

なんてつまんない人だろーと私は思うのだけど、

でも、それに振り回されていては、「生活」が成り立たないのだ。

少なくとも今の私が振り回されるべきことではない。そんな時間は無い。


ヴォルフスブルクでの悲しい思い出が、その後のまこちゃんの活躍で

反転しただけで充分なはずだよ。こんなに嬉しいことはないよね。


泣くな自分。その涙はニセモノだぞ。