頭痛中の鑑賞は自分も発症しそうな気がしてキツかった。


若年性アルツハイマー病に対する意識は高まった。

映像として目の当たりにすると、いろいろと考えさせられる。


でも、考えなければならないのはエンディングの後に起こること

ではないか…とも思った。


私は、大滝秀治さんが言っていたように

「人間は生きているだけで充分えらい」という考えを持っている。


その一方で、生まれてきたからには社会の一員として

何か形になることをしなければならない、とも思っている。


このふたつの考えの間のどの辺りに自分を着地させるかは

自分自身で決めることであり、他人(社会)が決めることではなく、

またどちらの位置が偉いとか優れているとかいうこともないと思う。


純文学と大衆文学という区分けをする場合、

後者は読み手の嗜好に合うように書かれたものであり、

前者はそうしなかったもの、と考えるのが一番シンプル。


大衆文学が純文学より低いと思ったことは一度もないけど

やっぱり私は純文学に喰らい付いて行きたいと思っている。


もちろん純文学の作家だって「食べるために」書く時もあり、

純粋に書きたいものだけを書いた、というわけではないようだ。


だけど、ものを書くということは、突き詰めれば

他人に認められることを目的とした行為ではないと思う。


となれば、私には、この道は合っていない。

でも私にとっても、それは目的ではないのだから

気にすることはないのかも。