昨日は第二部を鑑賞。
お目当ての十次郎、やはり途中で首(かしら)が変わった。
ずっと「若男」で、これから戦に出掛けるというので
鎧を着て現れた時もまだ「若男」で、
「手負い」の状態で再び現れた時に「源太」に替わっていた。
確かに十次郎は美しかった。
彼の最期は特にステキだった。死を迎えるシーンというのは
人形が魂を失い、ただの人形へ戻る、ということで、
人間が演じるより、リアリティがある。と思う。
が、「手負い」にしては、矢が刺さっているくらいで
着衣の乱れもないし、顔もキレイなままだったので、
ちょっとイメージしていたのと違った。
土門拳 の写真では、モノクロなのに加えて、
首が年代物なのか、ところどころ塗がはげていて、
いかにも「手負い」という感じなんだよね。
返り血を浴びて、まさに瀕死、という感じがするのだ。
土門拳の写真を評しての言葉に
「写真は実物を超える」というのがあったと思うのだけど、
まさに「手負いの十次郎」が、それだった。
文楽の楽しみ方は、回数を重ねるごとに変わって行く。
今の私は、「人形だけ楽しめばいい」なんてのは卒業できたけど、
「人形に浄瑠璃を重ね合わせて聴く」というごく当たり前のやり方は
目も耳も働かせなきゃいけなくてちょっと大変なので、
「浄瑠璃だけ集中して聴き、物語のディテールを確認する」
というやり方が楽しいらしい。
第一部の補記:
・「仮名手本忠臣蔵」と似ている部分があった。
松の廊下・おかる勘平を参考にしたのではないか。
・人形が屏風に筆で文字を書くシーンは見事だった。
写真で見る限り、玉男さんよりも
今回の勘十郎さんの方が、ずっと達筆らしい(笑)。