国立劇場文楽公演二月 『摂州合邦辻』


おっしゃる通りだったよ、潤ちゃん。


住大夫&錦糸の浄瑠璃は文句なしに素晴らしかったし、
文雀の遣った玉手御前も、文吾の遣った合邦も、文句なしに良かった。


しかし、話が浅い。浅過ぎる。
起伏が少なくてつまらないのではない。
むしろ、あり過ぎるくらいだ。


要するに、「安直」なのだ。
突拍子もない細工ばかりが目立つ。
涙を誘う見せ場かと思えば、中途半端に笑いを誘ってみたり。


日曜にしては、大向こうもよくかかってたし、

笑いどころでの笑い声も大きかった。
ってことは、ベテランの観客も多かったってことだよね。


でも…
あんなんで笑えるか?
人がひとり死のうとしているところなのに。


潤ちゃん、わかったよ、会場の笑い声を聞いて。
こんなんでいいのか?って気持ちがね。


おまけに今日は外国人のお客さんもいっぱい来てたしなぁ。
谷崎の意見は極論だと思ってたけど、実は私も同じことを感じたのだ。

だって、最初で最後の文楽が「合邦」だったら、
文楽=「合邦」になっちゃうよね。
それが我慢ならなかったんだよね?


でもさぁ… これって、

『蓼喰う虫』に出て来る『生写朝顔話』にも同じことが言えるんじゃないの?
シリアスな『心中天網島』より、単純な『朝顔話』の方が、
潤ちゃんの好みに合ってるんだと思ってたんだけど…
まだ読みが浅い?


ちなみに時代背景はこんな感じ:

1773年 初演
1774年 『解体新書』翻訳出版
1776年 エレキテル発明(平賀源内)


近松モノのような、人間の心を深く見つめるストーリーなんて、

もう流行らなかったのかもね…