これも青空文庫で見つけてしまった。読まないわけにはいかない。


坂口安吾 「白痴」 青空文庫


この小説を読むと、例の評論二作を読み返さねば、と思わされる。

評論二作を読み返すと、「白痴」が少しだけ、飲み込みやすくなる。


得意?の三作併せ読みによって感じたことをメモメモ。


「今、戦後文学を読む意味はあるのか」という問いに対しては、

「絶対に意味はある」と答えられる…ようになった。


「その理由は」と問われると、なかなか難しいのだけど…


「白痴」を読んでいる私は、戦争の最中にいた。

戦争を体験した誰かに、私の一部分が、置き換わってくれる。

出来ることなら避けて通りたい道だが、それでは先が見えない。


「戦争という極限状況を小説の舞台にした意味は何か」という問いを

提示されたことがあったのだけど、この三作を読んだ限りでは、

「そういう状況ではないと絶対に見えないものがあるから」という答えに

しかならない。でもこれは現代では絶対になし得ない舞台設定でもある。


そして、この三作によって坂口安吾が提示した問題は、

解決されることなくダラダラと今に引き継がれてきてしまっている、と思う。

いったん「堕落」してみよ、という言い方は確かにキツイけど、

日本だからこそ、実行可能な、不可欠な、現象のはずだった。

しかし、うまいこといかず、その結果として、今の日本がある、と思う。


んでもって、いったん「堕落」してみよ、という発想は、たぶん

日本だからこそ、生まれ得たものだったのではないかしらん。


「桜の森の満開の下」に見た「孤独とは何か」という問題も、

これら三作を読めば、作者の考えが少しだけ見えやすくなる。


初出を見ると、このような順番になっている。


「堕落論」

  「新潮 第四十三巻第四号」1946(昭和21)年4月1日発行

「白痴」

  「新潮 第四十三巻第六号」1946(昭和21)年6月1日発行

「続堕落論」

  「文学季刊 第二号(冬季号)」1946(昭和21)年12月1日発行


うん、確かに、この通りに読んでいくのが一番いいかも。