昨日の「かきかた」だと、私がいかにも英語も独語も話せて
一生懸命に勉強しているような印象を与えてしまうよね…


すみません! ほとんど話せません! 訂正します!


私は英会話も独会話も、結局のところ、惰性でやっているようなもの。
長谷部選手との共通要素(うふ♪)である「負けず嫌い」が幸いして
継続している、とも言えるかもしれないけど、どちらかというと
「苦痛じゃないし、けっこうおもしろいから、なんとか続けてる」
という方が正しいような気がする。


あ、間違えた。今は英会話はやっていないのです。
英会話は、いろんな側面から学んでみました。どれも半端だけど。
日本人の先生からも、アメリカ人の先生からも。
そして「これは良かった」と思うのは、発音の授業を取ったこと。
日本人は子音の発音が難しいと思いがちだけど、英語らしい発音は
なんといっても母音が決め手。目からうろこの授業でした。


が。独会話の場合、母音は基本的には日本語とほぼ同じだし、
むしろ独特の子音の発音の方に、どうしても気が取られる。
最近はたまに英会話を耳にすると、頭と耳と口が混乱するように…
なので、今は英会話はお休みしています。


それはさておき、昨日もう一度 『国家の品格』 を読んだのですが、
外国語を学んでいると常に気付かされることがそこには書いてあって、
あーやっぱりスゴイ本だわ、と納得したのでした。


以前、毎回プレゼンをやらされる超ハードな英会話のクラスがあって、
とにかくしんどかったのですが、ここで感じたのは、
「私って、話すネタを持ってないなぁ」ということでした。
皆さん海外滞在経験が豊富で、そのネタを話してくれるんだけど、
私はそれが無理なので、仕方なく日本のことを話しました。
かなり無理矢理だったけど、文学とか、文楽とか。
あの頃はまだ文学の勉強を始めていなかったと思うのだけど。


その時、私は今まで英語だとか独語だとか言ってきたけど、
結局のところ日本にしか興味がないんじゃないか?と感付きました。


アメリカの文化、イギリスの文化、ドイツの文化を知る際に
私が感じることは、「それと比べて日本はこうだな」ということ。
つまり、外国を知ることは、日本を知ることなのです。


もっと言えば、「日本を知る」ということは、裏返せば
「日本を知らない」ということになる。
日本に住んでいるくせに、日本のことをよく知らない。
当然ながら、知らないことは話せない。


外国語のレッスンとは、話す練習をすること。
だけど、話す内容を持っていないと、練習する意味がないのです。
教科書に書いてあることだけ話せても仕方がない。


外国語を学ぶということは、その国を学ぶということでもあるけど、
実際には「手段」を学んでいるだけに過ぎない。
大事なのは、その言葉を使って、自分が何を伝えられるか、
ということじゃないかと、最近は考えています。


『国家の品格』の中で藤原さんが強く主張しているように、
国際人になるためには「日本人としての私」というものが前提になる。
というより、「ひとりの人間としての私」という方がいいのかな。


そのために何をしなければいけないか、ということも書いてあるし、
それは誰でもなんとなくわかると思うのだけど、私はそれについて
遅れ馳せながら少しずつ補填していこうとしているところ。


で、その補填すべきポイントというのは、意外と、

外国語を学んでいる最中に気付いたりするのですよ、

最初の私みたいに。


つまり…

なんだ? なんなんだ!? わけわからーん!ショック!


要するに、外国語を学ぶってことも、文学を学ぶことと同じく、
「自分を知る」ってことなんじゃないの? …自分に聞くなよ…むっ