大阪へ文楽を聴きに行って来ました。
土曜の午前に発ち、16時からの第二部を観劇、一泊して
日曜は11時からの第一部を観劇してすぐに帰京、と
本当に文楽鑑賞だけが目的の旅でした。


『心中天網島』は、『蓼食う虫』を論じる私にとっては
何度観ても(聴いても)足りないくらいの演題です。
東京でも『天網島時雨炬燵』のタイトルで観ましたが、
『蓼喰う虫』の舞台である大阪で観ることに意義がある!
というのも、『蓼喰う虫』は、
『心中天網島』の観劇シーンから始まるのです!


大阪の文楽ファンにとっては、浄瑠璃の中に出て来る地名が
生活圏にあるんですよね。関東に住んでいる私と違って
より身近に感じるのだろうな、と思いながら聴いていました。


それと、卒論のために床本(ゆかほん:浄瑠璃テキスト)も読み、
鑑賞も二度目になると、浄瑠璃の内容が頭に入っているから、
登場人物の心情をよく理解した状態で聴くことが出来ました。
まぁ当たり前のことなのですけど、でも
江戸時代の観客たちに、少しだけ近づけたかな、と。


歌舞伎や文楽の特徴のひとつである、
「観客はストーリーの結末を知った上で鑑賞している」
ということがどういう意味を持つのか。
授業で聞いて、知っていた特徴なのだけど、
3年目にしてようやく「わかった!」と実感出来ました。


ヒロインの小春は、自分の決意を胸に隠したまま、
男たちの責めや罵りにもじっと耐えるのですが、
観客は彼女の決意を知っているから、
気持ちとは反対の台詞を言わなければいけない小春の辛さを
感じ取ることが出来るのです。
逆に言えば、観客は、それを感じ取ってあげなければいけない。


ひとつの演題は、一度観れば充分かな、と思っていたのだけど、
文楽や歌舞伎に限っては、それは違うのかも。
浄瑠璃が頭に入っているからこそ、舞台でおこなわれる
その日限りのライブを、いつも新しい気持ちで楽しめるのかも。


しかし、国立文楽劇場の字幕、横書きって…そりゃないよ…
ま、私は床本派だからいいけど…