男たちは、男同士のいざこざのために、
もしくは、自分の家庭の事情により、葉子から離れていく。
離別は、葉子とのいざこざや対決が原因ではないのだ。


葉子は、男をつなぎとめておく力の無さを嘆いているけど、
彼女にそういう力が無い、という問題ではないだろう。
全ては、男たちの身勝手さが原因なのではないか。


私が太宰の『人間失格』を好きになれないのは、
自殺をする際に女を道連れにする男が嫌いだから?
と、この作品を読んで気付いたのだけど、
自殺はしてはいけないとわかっている私でも、
葉子の最期には、何だかちょっと、惹かれてしまった。


というか、こう感じるということ自体、
『人間失格』の主人公と作家とを同一視しちゃってるよね。
言ってることとやってることが違うじゃんね。


そういえば『人間失格』の主人公、葉蔵っていうんだよね。
薬も同じ「カルモチン」だし。


ともかく、『人間失格』より、ずっと良かった。
『武蔵野夫人』より、おもしろいかも。先生、ごめん!(笑)


関係ないけど、県立図書館で借りた新潮文庫は、なんと
昭和44年10月20日7刷。
最初に借りた人の返却日が
昭和46年10月21日。
どっちも私の生まれる前だよ。すごい。


作品の成立そのものは、どんなに昔でも動じないけど、
書籍が時間を超えて物理的に私のところへ来たということに、
感動を覚えてしまうのです。


『蓼喰う虫』が110円、『卍』が100円かぁ… えぇ時代やなぁ…