私が感じた問題点は、終戦後の銀座で働く女性に限らず、
現代にも充分に通じるものではないか、と感じる。
潤子や亜矢子は、男を踏み台にして生きることが出来る女。
だけども潤子は、病気には勝てなかった。
銀座では、「そこにいる」ことが全てだから。休んだら負け。
そして葉子は、男を踏み台にして生きることも出来なければ、
当然のことだけど、歳にも勝てなかった。
歳を乗り越えるためには、イイ「旦那」を見つけるしか
彼女たちには方法がないらしい。つまり「囲い者」となること。
うーん… これの対極って、つまりは「結婚」なんだけども、
結婚も囲い者も、あんまし変わんなくないか? 言い過ぎ?
それはさておき、葉子という女性は、他人を
心から信じたり、尊敬したり、ということが出来ないようだ。
自分を「女」扱いしない男、つまり父親のような人間が周りに
いなかった、ということがどういうことか、少しわかったような。
そういう男である高島を、葉子は尊敬しているのだけど、
高島も、葉子を丸ごと受け止めてやる気はないようだし。
男にとって、仕事から生じる「空虚」を埋めるのが、葉子。
葉子にとって、生活から生じる「空虚」を埋めるのが、男。
これって一見、埋め合えているようで、埋め合えていないのだ。
そもそも、「空虚を埋める」って何だ?
田口ランディさんのエッセイで読んだ時から
どういうことか実感できていなかったのだけど、
この作品を読んで、ちょっとわかった気がした。
「空虚」を抱える葉子の寂しさが、よくわかってしまったから。