たまに「友達が少なくて寂しい病」というのにかかる。
卒論が進まないストレスからか、最近その気味だ。
いや、そうではなくて、昔からのコンプレックスだったのだ。


例えば、
「前から薄々感じてはいたけど、やっぱり
<私から飲みに誘わない限り、誘われない>
私って、どうなのさ?」
とかね。
そういうキャラだから仕方ない、なんて自分を納得させてきたけど。

まだ働いていた頃、私は毎日のように
田口ランディさんのメルマガ(のmsnへの転載コラム)を読んでいた。
ま、それだけ暇だったということだ。

その中に、こんな言葉があった。

  メールとは、
  「あなたを覚えていますよ」という相手からのメッセージだ。
  それを受け取ることによって、人は自分の存在を確認する。

ランディさんのメルマガは、今は何冊かの文庫本にまとめられて
出版されているのだけど、この部分の出所は未確認のままです。
申し訳ない。探してみて下さい。この辺りにあると思います。




ブログを始めた折は、読む人のことなど考えずに
自分の書きたいことを書こうと思っていたのだけど、
書くという行為は、読み手の存在を想定しないと
非常に難しい、ということに気付いた。


さすがに今はプータローとしての自覚も芽生えたので
メールの受信フォルダが空でもそれほど打撃はないけど、
<私から送らない限り、送って来ない>
という人の方が圧倒的に多いのは事実。
もしこれを読んで下さっている人の中に
「自分はよく送ってるのに…」という方がいたら、
その方には、いつも本当に感謝しているのです。
この場を借りて、どうもありがとうございます。ブーケ1


私はいつの間にか、ブログを、私を取り巻く人たちとの
コミュニケーションツールだと信じるようになっていたのだけど、
それは間違っていたようだ。
ブログは双方向なところに意義があると言った人がいたけど、
もしそれが正しいのであれば、
反応の無い記事は読まれていない、と判断しなければならない。
だからといって書くテーマを替えることは出来ないのだけど、
メールと同様、ブログも自分の存在を確認するツールだとしたら、
反応がなかった記事は、認められなかった、ということだ。
極論だろうか。


ま、要するに、書きたいことを書けばいいってことなのだ。
何を迷う必要があるのだろう。


もしかしたら私は、
  今ここに何かを書いている私は
  私が私だと信じている私の実体とは違う存在だ
という自覚が足りないのではないだろうか。


ここでの、私の実体を知らない人たちとのつながりが
既にかけがえのないものになっている以上、
私はここに存在するのだし、それと
飲み会やメールの問題とは、また別の話なのかもしれない。


とはいえ、ブログを持ってない人にとって
コメントをつけるのってすんごく抵抗あるのかもなぁ。
ほんでも、ブログの内容についての突っ込んだ意見を
メールに書いて送って来られたりしたら…
困りはしないけど、やっぱちょっと、違和感あるんだよねぇ。