清吉の心に潜む、「快楽」と「宿願」。
私がひっかかったのは、この2つの欲望が重なり合わなかった、
ということです。
人々が痛さに苦しみ悲鳴をあげる姿を見て、
確かに清吉は喜んでいるけれども、それならばなぜ、
念願かなってやっと見つけた娘の体を刺っていく時に、
彼は薬を使って彼女を眠らせてしまったのか。
娘が痛がり苦しむ姿を、清吉は見ていないのです。
この件については河野多恵子さんが
『谷崎文学と肯定の欲望
』の中で指摘しています。
私はサディズムについてよく知らないし、
深く調べる気もないので憶測でしかないのですが、
この作品に描かれている清吉の「快楽」と「宿願」とは
サディズムとはあまり関係がないように思われるのです。
それよりも、「快楽」と「宿願」という2つの欲望が
清吉の中に別々に存在する、と考えた方が、
おもしろいかもしれない…?
日々いくら「快楽」を味わっていても、それは
「宿願」を達成するまでの「つなぎ」のようなものであり、
「宿願」を達成するには、それ相応の相手(女性)が必要で、
その女性が現れたなら、命を賭けて愛し、燃え尽きる…
…すみません、限界です。今回はこれくらいで勘弁して下さい。
次回は同じ新潮文庫の中に収められている
『秘密』を読んでみたいと思います。
谷崎潤一郎 『刺青・秘密
』