前回の最終段落の疑問は、
6日間の中で考えた範囲をはるかに超えていたので、
ひとまず保留にしておきたいと思う(力不足でスミマセン)。
6日間の一番の収穫物は、
「恋愛とは、自分が生きていることを確認できる唯一の手段」
ということを実感できたことだった。
このことについて書いている作家や批評家は世の中に
いっぱいいるらしいので、何を今さら、と言う人もいるかも
しれないけど、この通り書いてあったのを読んだのではなく、
一見フツーでない「恋愛」を扱っているだけの文学作品から
この一文が浮かび上がって来たのだから、勘弁して欲しい。
言い換えれば、「恋愛こそが人生である」とも言えるだろう。
試しに自分のことをここに書いてみてわかったのは、
どうとりつくろっても結局は、いわゆる「恋愛」のことくらいしか
書けないもんだなー、ということだった。
過去を書く上でも、サッカーを書く上でも、基本は
「ある人と一緒にいる時、自分はこう思った」
「ある人を見ていたら、自分はこう感じた」
ということで、
いきなり政治や経済やサッカー理論について書こうとしたって
絶対に無理なのだ。
だけど、この
「自分を書こうとしたら、誰か他の人のことも書かざるを得ない」
というところがミソなのではないかしらん?
私が卒論で書こうとしている作家は、谷崎潤一郎である。
この名前を見た瞬間に、マゾとかフェチとかいう言葉が
思い浮かんだあなた、エライ! さすがです。
だけど、私はマゾにもフェチにも興味が無い。
谷崎の作品をいくつも読むと、
「恋愛こそが人生である」という言葉がよくわかる…と思う。
なんて書きながらも、やっぱり「恋愛が全てじゃねーだろー」と
思っている自分がいるのだけど、それでも
人間そのものや人間関係を考える場合、
一番わかりやすいのが「恋愛」を扱うことなのは間違いない。
そろそろ真剣に卒論に取り組まなければいけないのだけど、
卒論のためにも、谷崎作品を時系列に追いかけてみたいと思う。
もしお時間があれば、皆さんも一緒に読んでみて下さい。