自粛生活に思うこと(私見&長文) | みんりんママの1型糖尿病サポートLife♡~りんりんの1型Life☆

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むっちむちで元気百倍だった小学生の娘りんりんが、突然痩せてきて「1型糖尿病」と診断されました。
りんりんは中学生になりました。
本人の生活や、サポートする家族の気持ちを綴ります。
「1型糖尿病」が、誰もが正しく知っている世の中になりますように♡

自粛生活が始まって、
外に出てマスクをする時、
まるでナウシカみたいだと思っていました。

人が人と接することが削がれるって、
人との交流なくして人で居る意味って、
どれほどの事なんだろうかと考えさせられました。

自粛生活が始まった頃は、
まだまだわからないことが多過ぎて、
不安は大きかったけれども、
不思議なことに、
仕事をセーブして、
在宅の時間が増えてくると…、
案外その時間も楽しむことも出来てきて、
夫も子どもも、
手探りながらもオンライン生活に馴れてきたし、
今は無理して外に出て、
第2波、第3波に怯えるよりも、
せっかく波に乗ったオンライン生活を、
また来るかもしれない自然災害やウィルスによる自粛生活の為に、
しっかり軌道に乗せることも一案なんじゃないか?
と、感じています。

学校も仕事も、
オンラインが日常化することで、
不登校や病弱な人、
様々な事情がある人が、
参加しやすく、
色々な利点があると、
以前はそんなことを考えもしなかった人も気付く機会を得られた。
と、いうことは、
今回もちろん、
様々な失うことも多かったのだけれども、
反面、
得ることもたくさん有った。と思いたいです。

エッシェンシャルワーカーという、
地道な職業に改めて感謝する機会を得たことも、
素晴らしいことだったと思います。

入学も…
海外では9月が一般的かと思いきや、
そうでもないと、
恥ずかしながら今回知り、、
で、あれば、
いつまたこのような危機にあうとも限らないのだから、
4月、9月にこだわらず、
ある時は4月、ある時は9月と、
柔軟に対処出来る制度について考えても良い機会なのでは…と勉強になりました。
ある国では入学時期をそれぞれの考えで選択でき、
飛び級も出来るとか。
そもそも今の時代、
画一的な授業って成立させる方が難しい…と常々思っていたので、
これを機会に、
そんな柔軟な教育がもしも産まれたならば、
ポジティブに変えられると思ってくれたら嬉しいけれど。
大卒者が就職までの半年、
どうするんだ?という話が出るくらいだから、
そんな話も簡単にはいかないのでしょうが…。
高校生や大学生なら、
空いた半年なんて、
ボランティアとか、社会経験とか、
色々な体験をする、むしろとても良い時間だと、
私は思うのですが、
そうもいかないのが現実なのであれば、
ちょっと哀しい気もします。


私は元来インドア派なので、
今の生活はそれほど苦痛でもなく、
収入が多少減り、
色々な問題があろうとも、
様々な規制はあるけれども、
今回図らずもゆっくりな時間を過ごしたことで、
気付くことの方が多く、
もう少しスローな働き方で将来の不安もなく生きていけるような、
世の中が誕生しても良いのではないか?
と、感じました。



色々な情報を見ているうちに腑に落ちたのは、
ウィルスが近年猛威をふるっているのは、
住処を失った動物たちと人間の住処の境目が曖昧になりつつあり、
本来動物たちの病気であったものが変異して人間がかかるようになってきたという話でした。
ウィルスと闘うというよりは、
もっと長期的で地球規模な視野で、
ずっと見ぬふりしてきた、
人の生き方について考えることを、
避けては通れない局面なのかもしれないと改めて身が引き締まる思いがしています。
私としてはやっぱりナウシカの世界が思い浮かびます…。


医療従事者の方々に感謝と簡単に言うけれども…それだけでは実は少し違和感を感じています。
例えば、私が医療従事者の1人だとしたら、
何を1番に望むかと考えたら、
家族のことを思うと、
もしも自分が発症したならば、
最善の治療の保障をして欲しい。ということかもしれません…。
また、心理的ケアも必要とするかもしれません。
最先端で働く人の命を尊重して欲しいです。
忘れてはならないのは、
介護の現場もそうですよね…。

例えば、
国会で言論を交わしつつも、
手を動かして具体的にマスク1つ、医療用ガウン1つ等、作成するくらいの気概がなければ、
現場の困窮に心は伝わらないんじゃないかと思ったりします。



自粛生活が長引いて先が見えなかった頃、
スーパーで大声で怒鳴っているおじいちゃんがいて、
どうやら店員さんが接触するのを、拒否したようなんですが、
そんな風にもやもやを抱えて不安になる人は多かっただろうと思います。

かく言う私も、
手芸コーナーの手作りマスクのゴム紐(ずっと品薄状態で、見たことない心もとない風貌のゴム紐)に実物の見本の展示がなかった為、

「見せてもらうことは可能ですか?」と、
ソーシャルディスタンスを意識して少し遠くから聞いたところ、
店員さんが無言で台にゴムを投げてきました…汗💦。


振り返って考えてみれば、
店員さんに迷惑をかけたのかもしれません。
でもとても寒い気持ちになったのは確かで、
だったら見本を展示しておいてあっても良かったのにな…
見せることが不可能ならそう注意事項として書いてあっても良いし、
今マスクを作ることは必須であって、
だけど、
だからと言って、
どんなものか、わからないものにお金を出すことがまかり通るのは怖い気持ちがします。
気持ちが弱くなっている人であれば、
先のおじいちゃんのように、
怒鳴っていたかもしれません。
問い合わせやお尋ねがNGだと言うのならば、
そうしなくても買えるように、
売り場も変わっていかなければならないのかもしれません。


買い物で、
他愛もない会話を小気味好く交わせるような世の中になるには、
まだまだ時間が必要なのだと実感しました。
そんなにしてまで、
人は生きていかないといけないのかしら。
ものがなしい気持ちになります。


観に行けなかったミュージカルを、
いつか何かに怯えることなく観に行けるように、
私に出来ることを地道にしていくことを考えます。