さてキャンディーズですが、前記事でも書いた様に結成そのものは1972年4月。
NHK「歌謡グランドショー」のマスコット兼アシスタントとしてでした。

実はその番組デビュー前、メンバー候補はスクールメイツ内であと二人いました。
一人が後にザ・ヴィーナスというバンドでボーカルを務めるコニーこと、石川幸子。
もう一人が、あの太田裕美。(これは有名ですね。)
番組開始に伴って最終選考の結果ラン、スー、ミキの3人が抜擢された訳です。

状況は違うけど、この辺もPerfumeと似てると言えば言えるかも。
決定的な相違はPerfumeの結成が自分達の意志でされたという事でしょうか。





そうこうして、松崎氏にプロデュースされ歌手デビューを目指す中
73年4月に「8時だョ!全員集合」にレギュラー出演開始。
その年9月1日にいよいよ「あなたに夢中」でレコードデビューとなります。

そこから78年4月4日「ファイナル・カーニバル」までが4年7ヶ月=1676日。…短いですよねえ。

デビュー当時メンバーの年齢は18歳。
(Perfumeのメジャーデビューより年上だった事になりますね。)
もう1、2歳下だったらもしかしたら解散はなかったかもしれない、と考える事があります(>_<)


デビューからイマイチパッとしないまま75年2月の「年下の男の子」でブレイク。
4月には同名の初アルバム(LP)発売。

同年9月に蔵前国技館で「キャンディーズ10000人カーニバル」
これはブレイクしたから押さえたのか、最初はプロモの賭けとしての開催だったのか・・・
何か資料が残ってるのかな?
(実動員数は8,600人だった様です。)
また、このライブは初のライブアルバムとして12月に発売されました。(よく考えたら早いなあ)
ちなみにかなり長い事、僕の愛聴盤だったので思い入れが強いです(;^_^A



収録曲がこちら。

あなたに夢中 作詞:山上路夫、作曲:森田公一

危い土曜日 作詞:安井かずみ、作曲:森田公一

内気なあいつ 作詞:千家和也、作曲:穂口雄右

バイ・バイ・センチメンタル 作詞:竜真知子、作曲:穂口雄右

片想いの午後 作詞:竜真知子、作曲:穂口雄右

悲しきためいき 作詞:山上路夫、作曲:宮川泰

その気にさせないで 作詞:千家和也、作曲:穂口雄右

年下の男の子 作詞:千家和也、作曲:穂口雄右

プラウド・メアリー -PROUD MARY-作詞・作曲:John C. Fogerty、訳詩:竜真知子
オリジナル歌唱:Creedence Clearwater Revival

アイ・ビリーブ・イン・ミュージック -I BELIEVE IN MUSIC-作詞・作曲:Mac Davis
訳詩:沢田研二 オリジナル歌唱:Mac Davis


全編曲:渡辺茂樹



最後の訳詞 沢田研二というのが驚きますねw ピーナッツラインという事なんでしょうか?


参考までにプラウド・メアリーをリンクで貼っときます。
http://www.youtube.com/watch?v=SMdp7py3Uqc

まあ、今聴くと日本語が何だかなあ、と思いますがww
アイク&ティナターナーの迫力は望むべくもないですが、CCRよりはファンキーではないかとσ(^_^;)





そして75年12月に「ハートのエースが出てこない」リリース。
紅白にも「年下の男の子」で初出場。(さすがに最新シングルでは無理な時代でしたしね)
ーうーん、やはり「ポリリズム」と被ってしまいます。(;^_^A

翌76年3月に、LPに入ってた「春一番」があまりに人気があった為シングルカットされます。
知ってる人もいるでしょうが、春一番のアルバムバージョンはかなりロックテイストだったんです。
今ではシングルバージョンのブラスが入った方がスタンダードですけどね。


76年リリースのシングルは他にも「夏が来た!」「ハート泥棒」「哀愁のシンフォニー」
77年には3月「やさしい悪魔」6月「暑中お見舞い申し上げます」
と代表曲ばかり。文字通り絶頂期と言って良いでしょう。
それにしても季節ごとにスタンダードになり得るヒット曲を持ってるのは強みですねー。


ただでもシングルの連発でプロモに忙しいのに、76年10月には「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」
も始まってレギュラーが増えてます。
この番組はキャンディーズのコメディエンヌとしての才能を伊東四朗、小松政夫両ベテランが
上手く引き出してくれましたねー。

以前から僕は「シャンデリアハウス」のスタッフは「みごろ」の線をやりたかったのかな?
と考えてるんですが(笑)





とは言え、あの時代にブレイクしたアイドルの多忙さといったら、今の比ではありません。
自分を見失って「このままで良いのか?」と考える様になるのは当然だったでしょうね。


1977年7月17日 日比谷野外音楽堂でのライブでの解散宣言に至るまで
彼女達3人だけでどんな話が交わされたのかは分かりません。
相当な葛藤はあったんでしょうけど。

この当時の心境についてはFRAU 2009年9月号にランちゃんのインタビューがあります。
そこからこんな記事も書いた事がありますのでおヒマでしたらあせる






日比谷での宣言から解散に至るまでのお祭り騒ぎと、55,000人を集めた後楽園については
次回またPerfumeと絡めて書いてみます。