あれから早くも一週間が経とうとしている渋谷センター街。
その建物は、情報の発信源からパッケージメディアの墓標に変貌を遂げたかの様に佇んでいました。





$Stairway to SEVENTH HEAVEN-HMV 2010.8.28


「混沌こそ我が墓碑銘(Epitaph)」とはKing Crimsonの「Epitaph」で
ピート・シンフィールドが書いたロック史に残るフレーズですが、この光景を目にして
真っ先に浮かんだ言葉ですな。



 CD売り上げ不振によるHMV渋谷の閉店というのは、単にチェーン店が一つ店を閉めたと
いう以上の意味があります。

HMVに限らず、路面店不振の原因はだいたい次の2つに絞れるでしょう。
amazon等の通販の一般化、音楽のデータ化とモノとしてのCDを邪魔に思う人達の増加が相まって
楽曲のみのダウンロード販売が定着した事。

問題は後者です。

DL音源は概ね圧縮されています。
ある年代以上なら、これが本当の音じゃ無いのは知っている。
しかし今のままでは、CD音源を聴いた事が無く圧縮された音しか知らない世代がそのうち出て来る
のではないか?という危惧があります。

そして制作側も『どうせちゃんと音を聴くリスナーなんかいないだろ?』と手を抜く。
以前から、既にヒット曲といわれるモノの多くはラジカセを基準に音決めをされていると言われて
いますしね(-""-;)
そこそこのオーディオで聴けばそのスカスカな音はすぐ分かります。
まさに悪循環ですよ。




 そしてもう一つ見落とされがちなのが、パッケージやジャケットのデザインから
様々な発想を得る機会が消失してしまう事。

僕がグラフィックデザインに興味を覚えたのは、昔のLPレコードのジャケットからでした。
Roxy Music、King Crimson、Pink Floyd(特にHipgnosisのデザインには影響を受けました)
EL&P(一連のギーガーデザイン)、SANTANA(言うまでもなく横尾忠則)
そして、ブルーノートレーベルを始めとするJAZZレコード全般のアートワーク。

封を開けて音楽を聴く以前にどれだけ豊かな発想を吸収した事か。
中には音楽はどうでもいいから、ジャケだけでも欲しいと思ったのもありますww

データとしてしか音楽と接しなくなれば、こうした音楽と直結したイメージのトリガーを
失う事になってしまいます。
情緒的と言われるかもしれないけど、データだけあれば良いという考え方には、あまりに
即物的な気がしてどうも馴染めませんな。

かつて、敬愛する野田昌宏氏の言葉に『SFは絵だねえ』という言葉がありますが
僕は音楽も絵と対(つい)だと思ってます。
曲を聴いて自分なりの絵が頭に浮かぶか浮かばないか、これが一つの基準ですね。



 今日、HMVを眺めた後タワレコに寄って試聴機でまた知らなかったバンドと出会いました。
それについてはあとで記事にしますが、amazonでもこういう音楽との出会いは望めないでしょう。

MySpaceとかがあると言えばその通り。でも予め決まった時間しか試聴出来ないのがね…。

マニアな店員のPOPと試聴機で新たな音と出会うという機会も減りつつあります。
大手事務所と癒着したマスコミに踊らせられない為にも、自らの耳を更に鍛えなければ(^-^)/




ともあれこのままパッケージメディアとしてのCDが無くなる事は無いにしても
衰退の時期が来たのは間違いなさそうです。











改めて「さよなら、HMV渋谷。お役目ご苦労さん。」(←ヱヴァマニア向けww)