ひげくまさんの『もののけ姫』についての記事を読んで、少し尻馬に乗りたくなったので書いてみます。
うっかり僕もTV放映を観ちゃったもんで(苦笑)


 ジブリファンの方は気を悪くされるかもしれないが、結論から言うと『もののけ姫』でジブリは終わった
と僕は思ってます。(ま、単なる一個人の感想なので聞き流して下さい。)

ご承知の通り、興行収益的には大ヒットだった訳ですが、これはあくまで日テレとジブリのプロモにアニメを
よく知らない人が「見てないと乗り遅れる」という焦燥感を煽られて、内容も理解しないまま劇場に行ったり
ビデオを買ったりした結果でしょう。
そして嘆かわしい事に『千と千尋』、『ハウル』『ポニョ』と現在に至るまでこの繰り返しが続いています。
海外でいろいろ賞を取ったのも内容が評価されてというより、向こうには大人が鑑賞に堪える長編アニメ映画
そのものがこの頃は存在しなかったわけで。
オリエンタリズム好きと相まって高評価になっただけだと確信しています。

 『もののけ姫』は当時から多く指摘があった様に、一言で言うと『風の谷のナウシカ』を和風にした焼き直しです。それもはるかに大味に薄めて。
そんな事は無いと言われる方は冷静に比較して頂きたい。

サンは言うまでもなくナウシカ。アシタカはアスベル、エボシはクシャナ、ゴンザがクロトワ、そして
少し面白いのはジコ坊で、キャラや立場を逆転したユパに見えます。
こうした人物の相関図だけでもほぼ一致する上、舞台となるあの森は誰が見ても腐海だし。
猪は王蟲。あの乙事主が率いて人間に襲撃をかけるシーンはどう言い訳しても王蟲の進撃と同じでしょう。
で、審判を下すシシ神が巨神兵ですね。(モロ一族はこの話独自のものですが)

作品のテーマ自体も「自然(エコ)と人間(エゴ)の共存」「そのために森を大切にしよう」
いかにも極左だった人が年とって言いそうな事です。


『ナウシカ』がマニアの間でいまだに高い人気があるのは、そうしたクサいテーマを補って余り有る
エンターテインメント性を有し、純粋な娯楽作品としても観て楽しいし感動出来るからです。
それはなぜか。余計なものを省いて、あくまで人間と蟲達へのナウシカの献身に焦点をあてて描ききった
からに他なりません。

対して『もののけ姫』は朝廷との関わりや身分の格差等、微妙な問題を組み込んだ結果、物語のリズムが
崩れ、ある意味破綻しています。
たぶん宮崎監督も収拾がつかなくなったんでしょう、最終的には緑が蘇ってめでたしめでたしと、なんとも
竜頭蛇尾なものになってしまっています。
映像の綺麗さや音楽で隠そうとしても、ナウシカのラストの様な感動は僕には全く感じませんでしたね。

皮肉な事に、ちょうど97年当時公開時期が重なっていた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、
君に』の庵野秀明監督のお家芸「広げ過ぎた風呂敷を畳めなくなってしまう」という症状が師匠の宮崎駿に
移ってしまったわけですなww
もののけのラスト、ジコ坊が言う『いや参った参った、馬鹿には勝てん。』というのは庵野監督への宮崎監督
からのメッセージだというのは随分言われたものです。


なにか『もののけ姫』批判の様になってしまいましたが、それだけ当時は期待していたんですよ。
それが蓋を開けたら、作品としてエヴァのクオリティの足元にも及ばなかったので、ガッカリなんてもんじゃ
無かったです。


以来ジブリ作品は観る気が全く失せて、『千と千尋』をTVで見て追い打ちをかけられました。

やはりメッセージ性で『ナウシカ』、純粋娯楽作品では『ラピュタ』が頂点だったと思いますねえ。