アブラハムとシュメール人 | おおっちのブログ

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アブラハムとシュメール人

シュメール人はどこから来たのか?

古代イスラエル人は、アブラハムの子孫であると言われている。では、そのアブラハムはどこから来たのであろうか?今まで、このことはあまり論議されてこなかった。しかし、このことを論議することで驚くべき事実が浮かび上がってくる。

創世記10章8節で、<クシュの子ニムロデ>とあるが、これは、考古学発掘のデータで知られるようになったシュメルの初期王朝時代(BC3000年前後以降で:ウル第1王朝が、2600年頃、ラガシュのウル・ナンシェ王朝が、2500年頃、等に至るもの)とは比定されるものではなく、BC3800年前後の時代と推定すべきかと思われる。このニムロデは、シュナル(=シュメル)の地で、バベル、エレク(後のウルク)、アカデ、カルネ(後のバビロン)と、次々にその町興しをなしてゆくが、かっての狩人も、その草原(その頃は、いまだ土漠地帯ではなかった)での狩りでは満足できず、再び北方の山辺・丘陵のあるアッシリヤ地域に移り、さらにニネベ(はるか後のアッシリア帝国の首都となるが)、カラ(カルフ=古ニムルド)、レセンなどの町を建てて、そのアッシリア地方の町々の<族長王>として君臨したようだ。これが、その8節~12節の文言が言わんとするところだ。そして、かの<バベルの塔の出来事>(第11章1節以下)は、そのニムロデのアッシリヤでの都市建設の時期または晩年の頃、あるいはその没直後の事で、ほぼ同時代ごろの事と思われる。かなり人々が、その当時、シナルの地の文明に惹かれ、その生存の当てを求めて、ぞくぞくと移り住んできたと思われる。”

新共同訳によると、創世記 11章 2節には、「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。」と、なっている。

根本的に違う説は幾つかあるが、「正統竹内家」にも先祖伝来の古神道の秘儀と門外不出の口伝による「竹内秘史」がある。 口伝によると、一万二〇〇〇年前に世界中で大洪水があった。その洪水の後、最初に文明が開けたのは日本だった。日本の縄文文化は世界最古の文明だった。その文化は八〇〇〇年前に中国に伝わった。五〇〇〇年前には、欧州にも伝わった。その中でいつのころかわからないが、太陽信仰を持つグループである日本のスメル(天皇)族が、沈んでいく太陽を追いかけるようにアジア大陸に渡ったのだ。創世記 11章 2節には、「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。」とあるように、東の方から、おそらく太陽の沈む彼方に理想郷(西方浄土)があると思ったのだろう。そのグループは二つあり、それぞれ朝鮮半島と南洋を経由して西を目指した。その二つのスメル族のグループはメソポタミアで再び合流した。ところがメソポタミアまで来たものの、どうもそこには理想郷はなかったことに気づいた。

スメル族のグループは、シュメール人と呼ばれた。彼らは古神道に通じていたが、本来古神道とは自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術であった。ところが砂漠の地方では、自然は人間に敵対するものでしかなかった。古神道の考えとは合わなかったわけだ。それでも、彼らは、メソポタミアの地で数百年生き、文明をもたらして言ったのである。

失望したスメル族は二手に分かれて、つまり自分たちが来た道を通って再び日本に戻ることにした。インドネシアなど南方のルートを通って日本に戻ってきたグループは九州高千穂に上陸、彼らは大和族(日向族)と呼ばれた。彼らは海を下ったので(天降った)と言い換えられた。一方、陸路を使って朝鮮半島から日本に戻ってきたグループは山陰地方に進出、彼らは出雲族と呼ばれた。

彼らは当時の原日本人を制服していった。出雲族は日本海側を支配、大和族は瀬戸内海側を海路東進し、奈良に入った。出雲族のスサノオは、越王朝のヤマタノオロチを「退治」した。その後、出自不明の大国主はスサノオの娘と結婚して出雲の王となったが、それを認めてもらうために再び越の国を攻めた。

その間、出雲族と大和族は何度か小競り合いを繰り返した。おそらく最初の戦いでは大和族が勝ち、二度目の戦いでは出雲族が勝利した。二度目の戦いの後、和睦が結ばれ、出雲族のスサノオはアマテラスと夫婦の関係になる。しかし、大国主の息子の事代主(コトシロヌシ)が王の時代に、再び戦争となり、出雲族は大和族に敗退する。その結果、当時の大和族の主である神武は、事代主の娘を娶り、ここに大和朝廷が確立する。おそらく紀元後五〇年ごろの話だ。こうした歴史と、越の国などに伝わっていた原日本人の記録と秘術が合体して、口伝ができたと考えられる。

かつて、太陽信仰を持つグループである日本のスメル(天皇)族が、沈んでいく太陽を追いかけるようにアジア大陸に渡ったのだ。おそらく太陽の沈む彼方に理想郷(西方浄土)があると思った。そのグループは二つあり、それぞれ朝鮮半島と南洋を経由して東の方から西を目指した。スメル族のグループは、シュメール人と呼ばれたのだ。

実は、アブラハムは、シュメール人の首都であるウルの出身である。ノアの子孫のセム族から幾世代たって、バベルの塔で人々が一箇所に集まるようになると、神は人々の言語を混乱させ、全地に広がるようにされた。と、なっているが、創世記11章1節から9節のバベルの塔に関する記述は、後から付け加えられたかのように唐突として出てくる。

アブラハムは、シュメール人であってしかも富を蓄えるほど著名な人物であったことが伺える。つまり、天皇家の血筋をなんらかの形で受け継いでいたのであると推測される。もしかしたら、アブラハムの妻サラがそうだったのかもしれない。