ノアの洪水とソドムとゴモラの火 | おおっちのブログ

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 竹内文書では、天変地異によって何度も『土の海』にされ、多くの五色人が滅びた事を記している。最初の天変地異による滅びは、天神六代。「地球、数百度、土の海となり、岩石の角丸くなる。蛤がらの岩石、高山の大岩、また石の中に有るが土の海となりたる印なり」とある。そして、最後の記録が不合朝七十一代。この間、地球は百回以上も土の海と化している。

その百回以上を数える天変地異の中には、ミヨイ、ラミアラと言う現在の地球上にはない大陸の沈没の物語まで含まれている。こうした天変地異の最後のもの(もちろん、現代から見ての事であるが)、それが、旧約聖書の中に出てくるノアの洪水であると断定する事が出来るであろう。

 今より1万年位前から、人類は慢心して、偉そうにしたり、他をだましたり、自分をだましたりして迷える人間世界になっていた。それゆえに神が、人類に警告し、大洪水をもたらしたと考えるのは当然の事と思われる。以下、考古学者たちの発掘調査によるデータである。

 1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき、古い木材建造物が一部露出する。トルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念。その際に、欧米諸国にニュースが報じられる。

 詳しい年代は定かとなっていないが(1880年 - 1910年頃であろうと推測される)アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが大規模な捜索隊を編成しノアの箱舟の残骸を捜索しかなりの成果を収めたものの、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失してしまったという。

 1920年以降、様々なレベルで調査が、その都度行われている。標高はおよそ、5,000メートル付近といわれている(その後、地震や氷河の融解によって、渓谷を滑り落ち、下に移動していったとする説もあった。またこの近辺は、冬期間は完全に氷河に閉ざされてしまう)。

 戦後、米国の軍事衛星による撮影でCIA内部でも実在説を支持する勢力が増えたことがある。

 1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120 - 130mあったと報告された。また、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされるほぼ炭化しかけた、化石といってもよいような木材を、数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年 - 紀元前4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年~紀元前3000年といった結果が出た。

一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前~1400年前という結果が出たという。放射性炭素による測定法は、ノアの洪水の時代以前となると、急速に誤差が生じる。地球規模の急激な気象変動が考古学の正確さに狂いを生じさせているものと思われる。箱舟の材質はオーク材であった。『聖書』の「ゴフェルの木」は、一般に「イトスギ」と訳されているが、実は「ホワイトオーク」であったとする科学的な見解もある。ただし、この近辺1000km四方に、ホワイトオークは古来より存在しないため、洪水以前の気候風土は、現在の状況とはかなり違ったものであったと言えよう。

 ノアの洪水の時には、ノアとその家族が箱舟に乗って救出されたとあるが、洪水伝説については、旧約聖書のみならず、アジア・アメリカ・ヨーロッパ・アフリカ・オーストラリアに至るまで、まさに世界中で確認されている。そして、一部の人々が救われたのが、“船”を手段として、神に選ばれた者だけが助かると言うのである。

 一般には知られていないが、竹内文書には、天変地異の記録とノアの物語を筆頭とする世界洪水伝説には、非常によく似た点がある。

 一つには、両者とも地球全土を覆う程の規模であること。二つ目には、生存した人々が神から選ばれた一部の人々。三つ目に、旧約聖書は、『箱舟』であるのに対して、竹内文書では、『天の浮き船』である。そして、四つ目には、“船”の到着地である。世界の伝説では、ノアがアララト山、シュメールの伝説が、アルメニアのゴルディエネ山、ギリシャの伝説がパルナッソス山、アステカトルテカの記録がコルワカン山と、そのほとんどが山に漂着している。

竹内文書には、『越根中国鷲羽山』に、天空浮船は、降りているのだ。竹内文書によれば、現代から遡って、一番近い世界的な洪水は、天津照雄之男見光天津日告嗣天皇の御代であり、天皇はBC.5293年から461年間統治している時期に、万国大変動、土の海となった事が記されている。この記述が、ノアの箱舟と同じ出来事を表していると思われる。以上が、ノアの洪水と竹内文書との関係である。では、次にソドムとゴモラの火による滅びについて検証していこう。

 ノアの洪水は、世界的な出来事であったゆえに竹内文書にも情報が取り上げられているが、ソドムとゴモラの火による滅びについては、局地的なものであるがゆえに、聖書にしか記されていない。しかしながら、考古学者たちの調査によると、中東に住んでいる人々もこの出来事に気付いたようである。なぜなら、小惑星の一部が大気圏に突入したことを記す証拠がある。それは、シュメール人が残した惨劇の日の天体図解析が残っていたからだ。

それが示しているのは、その日が紀元前3129年6月29日であり、その日に直径1キロほど小惑星がアルプスに落下し、空中爆発した破片が地中海一帯にばら撒かれたことによる事象であるという説がある。氷床コアの調査から、紀元前3100年ころに小惑星が落下した疑いのあるデータが取れている。その空中爆発した燃える破片が、ソドムとゴモラの町に多数降ってきたのである。創世記19章23節によると、朝日が昇った後、天空から硫黄と火の雨がソドムとゴモラに降り注がれた、と記されている。

ソドムとゴモラの地域は、シディムの低地平原と呼ばれていた。地理的には北側に塩の海(死海)が控えていた。塩の海(死海)とシディムの低地平原を遮っている堤防にあたる部分に、小惑星の大きな断片が火の玉となって激突したとすればどうなるであろうか?それは、一気に塩の海(死海)の塩水がソドムとゴモラを覆ってしまい、人々が滅んでしまうことになる。

実際、聖書の記録は、創世記19章17節の中で、ロトとその家族に対し、山地に逃れるように命令されていた。家に止まっていれば、塩の海(死海)の塩水によって滅ぼされてしまうのだ。創世記19章26節には、ロトの妻は山地に逃れるのに、“後ろを振り返るようになり…”とある。高い山に逃れるようにとは、塩の海(死海)の塩水によって、ソドムとゴモラが滅ぼされることを警告していたのであり、ロトの妻だけが家族から遅れてしまい、塩の海(死海)の塩水に飲み込まれて、塩の柱になってしまったのである。

 聖書の中で、ノアの洪水のこと、ソドムとゴモラの火による滅びのことが取り上げられているのは、非常に興味深い。

 と言うのは、古神道において、水による清め、火による清めがある。また、塩による清めもある。聖書の中の出来事は、すべて神が人類を清めるために行なった事であり、その教訓を特に中東を舞台として演じられたと見ることは出来ないだろうか?

 『温故知新』と言う言葉がある。古きを尋ねて新しきを知ると言う孔子の論語の教えである。21世紀に住む我々現代人は、過去に起きたこうした出来事を調べ、今後、予想される人類の危機的状況を乗り越える教訓として受け止めることが出来るのだろうか?