悲報!「珍来」金町店 閉店(ラーメンブログ119) | 白州本樹のブログ

悲報!「珍来」金町店 閉店(ラーメンブログ119)

青天の霹靂…


長い間、金町住民に愛されてきた「珍来」金町店が


突然の閉店…


何度も何度も耳を疑い

目を疑い、


先日、確かめに行ったが、

噂は本当だった…

仰天…


集客が減っていたわけではない…

常に賑わっていた店舗だ…

この地で40年、常に金町の人々の原風景として珍来はいつもここにあった。

珍来が閉店するなんてことを考えた金町住民はおそらくいないだろう…


それが、あまりにも唐突な閉店

いったいなぜ?

今年に入って都内でも沢山のお店が無くなった。

しかし珍来金町店の閉店は、


衝撃とショックの度合いがはるかに違う。


心にぽっかりと穴が空いてしまった…

そんな金町人は僕一人ではないはずである。


いつもそこにあったから

わざわざ写真なんか撮ってやしない…


撮っても消してしまってる。だって、いつもそこにあったから…


仕方なく昔のブログから在りし日の写真を引っ張ってきた。

在りし日ったって、ついこの前までこれが日常だった。

本当は今日だってこのおなじみの風景のはずだった。


それがこの通りである。

この写真を撮っている最中にも通りかかった爺さんが話しかけてきた。


「なんで辞めちゃったのかねぇ…」

「いつもお客さん入ってたのにねぇ…」


店の前で立ち止まる人も多数。


本当に金町人にとっては寝耳に水である。


目の前にある「すみ整骨院」によって院長と話した。


どうやら理由は従業員の高齢化のようである。

店主が70代後半、弟さんも妹さんも70代。

後継者がいなかったらしい…


「いや、いつも坊やみたいな見習いがホールにいたじゃないですか?」


そう、今さっきも坊やが裏の玄関の鍵をあけて2階に上がっていったのを目撃している。

珍来の上は住居になっているのだろう。


「後継者としての覚悟がある人はいなかったみたいですよ」


院長の話だと、混雑を避けるために敢えて告知はしなかったらしい。

でもネットを中心に噂は漏れ、日に日にお客さんが訪れるようになり、最終日には30人くらいの行列になっていたそうである。


知らなかった…


知っていたらもう一度、あのラーメンを食べたかった。

院長は「どこか懐かしい、金町のソウルフード」と言っていたが、僕にとってはソウルフード以上の存在であった。


そんじゅそこらの町中華の醤油ラーメンではない。


手打ちにこだわっているだけあって麺が全然違う。

とにかく食感が違うし、町中華のラーメンにありがちなチープさがない。


そしてスープ。

まず最初に一口すすった時のスープの味わいが全然違うのである。


町中華であって、町中華以上のラーメン。

これで500円。

金町の他の美味いラーメンを食べても

「結局珍来」となってしまう。


個人的には坦々麺も好きだった。

昭和からあるジャパニーズな坦々麺。

でもやはり麺が美味いからチープさが全くない。


ここでよく食べたのは半マー丼セット 

ラーメンに半マーボー丼と餃子がついて900円

まさに金町の良心。


最後に行ったのは6月22日?


ねぎラーメンを食べている。

らーめんも変わらずの500円だった。

いや、8月4日も来ている。

カレーの写真があった。

これが、珍来との最後の晩餐になろうとは夢にも思ってなかった。


常に忙しい店だったが、町中華や繁忙店にありがちな無愛想さがなかった。


接客もよくテキパキとしていた。従業員、みなやる気に満ち溢れていた。そして親切丁寧。


金町の人々の心に寄り添っていた。


他の町の珍来にも何店舗か行ったことがあるが、

こんなに地元に愛されていた珍来は無かったであろう…

駅前ではない。


駅から離れた通りにある。

夜になると真っ暗になる通りだったが、常に珍来の灯だけが煌々と通りを照らしていた。


珍来の灯りが、

街を明るくしていた…


数年前、夜中の3時に撮った写真

以前は休みなしの記憶だったが最近は火曜日定休にしていた。


それでも駅前でもないのに毎日夜中の2時までやってたのは凄い。


朝も早くから仕込みをしていた。

この歳までよくぞこんなに働き通したと感服する。


今、金町住民はみな喪に服しています…

金町住民に愛されて40年…

お疲れ様でした。


そして本当にありがとうございました。