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珠希って、こんなひと


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@258kqgfl


本日は自分の体験をもとに
珠希自身への戒めとして記します。


1995年1月17日 午前 5:46

これまで聞いたことのない

ゴォ〜ッびっくりマークびっくりマーク

という不気味な音と共に
自分の身体が布団から持ち上がったあと
ゆさゆさと大きく揺れた驚き


いわゆる、縦揺れの後の横揺れ。
後で知りましたが直下型地震の特徴らしい。


生まれて初めての感覚に
驚いて目が覚めましたガーン


戦後初の大都市直下型地震 M7.3
6000人を大きく超える
阪神淡路大震災の発生の瞬間ですえーん


あの時私は兵庫県明石市の市営住宅に
夫と二人暮らしキョロキョロ


土日と成人の日の振替休日という連休を利用して
松葉ガニで有名な日本海・浜坂に旅行に行き
前々日に帰ってきたばかりでした🦀


車に同乗していたのは私たち夫婦と妹夫婦。
私以外の3人がインフルエンザに罹患し
地元に戻ってくるなり高熱でうなされる、
最悪のコンディションでした。
珠希だけ元気チョキ


寝ていた身体が宙に浮くという
経験したことのない事態。


アカン!


夫の叫び声と共に
思わず布団の上に座り込んだところへ
今まで私たちの頭があった枕の上に
洋服ダンスが倒れてきましたゲッソリ


ほんの数秒、身体を起こすのが遅れたら
タンス直撃で頭部は潰れ
タダでは済まなかったと思います。
いえ、そのまま還らぬ人になっていたかも…


揺れがおさまりリビングに行こうとして
その場に立ちすくんでしまいました。


揺れのために食器棚の扉が開き
外に放り出されたガラス類が割れ
到底裸足で歩ける状況ではなかったからびっくり


部屋の中というのに靴を履かざるを得ず
真っ暗な中、やっとの思いで探し出した
懐中電灯を手にとりあえず一回りショボーン


夜が明けて少しずつ明るくなるにつれ
周囲の被害の大きさも確認できましたびっくり


発熱でぐったりしている夫が
ひとまず安全に休めるよう
床に散らばったガラス片を片付け
設置台から落ちたTVを元通りになどなど…
 

おそらく食品確保のために
近隣住民が殺到するであろうスーパーに駆け込み
両手に持てるだけ、山ほど食料を確保して
これでなんとか数日は生活できると安堵😮‍💨
 

夫の実家は徒歩10分ほどだったので
嫁ぎ先の家族の無事は確認できました照れ


ただ、被害の大きかった地域に住んでいた
私の実家や親戚の安否は不明のままでした。
けれど何故だか


うん、みんな大丈夫ビックリマーク


もともと直感は鋭かったので
不便な思いはしているけれど
身体はなんともないことは伝わっていましたキラキラ


そうなると看護師というのは因果な職業で
自分がどうなるかわからない、こんな時でさえ
当時勤務していた病院の状況が気になります。


電話が繋がらないため、どうなっているか
とりあえず行ってみないことにはわかりません
  

薬の効果が切れると熱が上がる
そんなことを繰り返していた夫は不安なのか
「こんな時まで仕事に行くの?」
と訴えてきますが

「こんな時こそ必要なのが病院。
患者さんたちが心配。救急も気になる」
と一蹴真顔

幸い、職場周辺は火災も起きず
築年数が古い家の屋根瓦は落ちていたものの
ガラスで切ったとか、こけて捻挫とかが
救急で運ばれてきた程度でした真顔


ライフラインも数時間で復旧音譜
覚悟していたほどの被害はなく
ほっとしたのを今でも覚えています。

時間が経つにつれて
TVやラジオを通じて
徐々に明らかになる被害の甚大さに絶句叫び


固定電話がほとんどで
携帯電話はまだ普及していなかったため
実家の家族の安否は翌日になっても
つかめませんでしたえーん

そうするうちに亡くなられた方の名前が
TVで次々に流れるのを見ながら

「どうか、知っている人の名前が出ないで」

祈るような気持ちで食い入るように見ていました。

翌日やっと
仕事の関係で携帯電話を持っていた義弟が
実家の様子を知らせてくれて…

実家は全壊していて
原型をとどめていなかったものの
中に人がいる気配はなく血も落ちていなくて
どうやら避難したようだと。


2日後、やっと行政が用意してくれた
公衆電話の順番が来た、とのことで
ほんの短い間しか会話できませんでしたが
無事を確認することができました照れ


「連絡したくてもできなかった。
心配してくれているだろうことはわかってたけど
知らせる手立てがなかったから。
役所が公衆電話を用意してくれた。
順番が来るのを寒い中ずっと並んで待っていた。
こっちは身体は大丈夫。
避難先の小学校にいるから不便だけど
贅沢は言っていられない。
後の人も早く誰かに知らせたいのだろうから
もう電話切るよ、また連絡する」

おおよそのやりとりはこんな感じで…


なんとか無事そうな家族の声が聞けたことで
やっと緊張から解き放たれたのを
昨日のことのように思い出されます。

そんな生々しい体験をした私でも
年々その時の恐怖は薄らいで来ていますチーン

忘れることは
神様からのプレゼント

と聞いたことがありますが
忘れてはいけないことがあります。

この震災もその一つ

同じようにその瞬間を

慣れ親しんだ我が家で迎え

かたや恐ろしい思いはしたものの生き、 

かたや眠ったままこの世を去った人もいます笑い泣き


27年前の今日のことを思い出すと

あらためて生かされていることのありがたさ

生きていくことの素晴らしさ

楽なことばかりではないけど 

それでも生きてる

悲しみも苦しみも辛さも不快だけど

生きているからこそ味わえる感情

失われた多くの命の重みに想いを馳せ

決して忘れてはならない記憶だと

自分が生きている限り肝に銘じていこう


震災から27回目を数える今日

あらためてそう強く自分に言い聞かせました。



楽しく明るい

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