みなさん、こんばんは〜💕
あまた数あるブログの中から
私のブログを見て下さりありがとうございます😊
珠希って、こんなひと✨
スピスタ STEP2
第2期生募集開始🤗
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ちょっとはスピリチュアルなことを
知ってるし、やったことある
けれど、忘れちゃったし
しばらくやってないけどできるかな
ってな人、大歓迎
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これまで聞いたことのない
ゴォ〜ッ
という不気味な音と共に
自分の身体が布団から持ち上がったあと
ゆさゆさと大きく揺れた
いわゆる、縦揺れの後の横揺れ。
後で知りましたが直下型地震の特徴らしい。
生まれて初めての感覚に
驚いて目が覚めました
戦後初の大都市直下型地震 M7.3
6000人を大きく超える
阪神淡路大震災の発生の瞬間です
あの時私は兵庫県明石市の市営住宅に
夫と二人暮らし
土日と成人の日の振替休日という連休を利用して
松葉ガニで有名な日本海・浜坂に旅行に行き
前々日に帰ってきたばかりでした🦀
車に同乗していたのは私たち夫婦と妹夫婦。
私以外の3人がインフルエンザに罹患し
地元に戻ってくるなり高熱でうなされる、
最悪のコンディションでした。
珠希だけ元気
寝ていた身体が宙に浮くという
経験したことのない事態。
アカン!
夫の叫び声と共に
思わず布団の上に座り込んだところへ
今まで私たちの頭があった枕の上に
洋服ダンスが倒れてきました
ほんの数秒、身体を起こすのが遅れたら
タンス直撃で頭部は潰れ
タダでは済まなかったと思います。
いえ、そのまま還らぬ人になっていたかも…
揺れがおさまりリビングに行こうとして
その場に立ちすくんでしまいました。
揺れのために食器棚の扉が開き
外に放り出されたガラス類が割れ
到底裸足で歩ける状況ではなかったから
部屋の中というのに靴を履かざるを得ず
真っ暗な中、やっとの思いで探し出した
懐中電灯を手にとりあえず一回り
夜が明けて少しずつ明るくなるにつれ
周囲の被害の大きさも確認できました
発熱でぐったりしている夫が
ひとまず安全に休めるよう
床に散らばったガラス片を片付け
設置台から落ちたTVを元通りになどなど…
おそらく食品確保のために
近隣住民が殺到するであろうスーパーに駆け込み
両手に持てるだけ、山ほど食料を確保して
これでなんとか数日は生活できると安堵😮💨
夫の実家は徒歩10分ほどだったので
嫁ぎ先の家族の無事は確認できました
ただ、被害の大きかった地域に住んでいた
私の実家や親戚の安否は不明のままでした。
けれど何故だか
うん、みんな大丈夫
もともと直感は鋭かったので
不便な思いはしているけれど
身体はなんともないことは伝わっていました
そうなると看護師というのは因果な職業で
自分がどうなるかわからない、こんな時でさえ
当時勤務していた病院の状況が気になります。
電話が繋がらないため、どうなっているか
とりあえず行ってみないことにはわかりません
薬の効果が切れると熱が上がる
そんなことを繰り返していた夫は不安なのか
「こんな時まで仕事に行くの?」
と訴えてきますが
「こんな時こそ必要なのが病院。
患者さんたちが心配。救急も気になる」
と一蹴
幸い、職場周辺は火災も起きず
築年数が古い家の屋根瓦は落ちていたものの
ガラスで切ったとか、こけて捻挫とかが
救急で運ばれてきた程度でした
ライフラインも数時間で復旧
覚悟していたほどの被害はなく
ほっとしたのを今でも覚えています。
時間が経つにつれて
TVやラジオを通じて
徐々に明らかになる被害の甚大さに絶句
固定電話がほとんどで
携帯電話はまだ普及していなかったため
実家の家族の安否は翌日になっても
つかめませんでした
そうするうちに亡くなられた方の名前が
TVで次々に流れるのを見ながら
「どうか、知っている人の名前が出ないで」
祈るような気持ちで食い入るように見ていました。
翌日やっと
仕事の関係で携帯電話を持っていた義弟が
実家の様子を知らせてくれて…
実家は全壊していて
原型をとどめていなかったものの
中に人がいる気配はなく血も落ちていなくて
どうやら避難したようだと。
2日後、やっと行政が用意してくれた
公衆電話の順番が来た、とのことで
ほんの短い間しか会話できませんでしたが
無事を確認することができました
「連絡したくてもできなかった。
心配してくれているだろうことはわかってたけど
知らせる手立てがなかったから。
役所が公衆電話を用意してくれた。
順番が来るのを寒い中ずっと並んで待っていた。
こっちは身体は大丈夫。
避難先の小学校にいるから不便だけど
贅沢は言っていられない。
後の人も早く誰かに知らせたいのだろうから
もう電話切るよ、また連絡する」
おおよそのやりとりはこんな感じで…
なんとか無事そうな家族の声が聞けたことで
やっと緊張から解き放たれたのを
昨日のことのように思い出されます。
そんな生々しい体験をした私でも
年々その時の恐怖は薄らいで来ています
忘れることは
神様からのプレゼント
と聞いたことがありますが
忘れてはいけないことがあります。
この震災もその一つ
同じようにその瞬間を
慣れ親しんだ我が家で迎え
かたや恐ろしい思いはしたものの生き、
かたや眠ったままこの世を去った人もいます
27年前の今日のことを思い出すと
あらためて生かされていることのありがたさ
生きていくことの素晴らしさ
楽なことばかりではないけど
それでも生きてる
悲しみも苦しみも辛さも不快だけど
生きているからこそ味わえる感情
失われた多くの命の重みに想いを馳せ
決して忘れてはならない記憶だと
自分が生きている限り肝に銘じていこう
震災から27回目を数える今日
あらためてそう強く自分に言い聞かせました。
楽しく明るい
スピリチュアルライフを
珠希と歩んでみませんか?