時を買おう
時を買おう
1
「また遅刻かよ。」
もう約束の時間から2時間も経っている。
遅刻はいつものことだが今日は遅すぎる。忘れてしまっ
ているのではないか。
由紀の携帯に電話をかけたが、電源を切っているのか
出なかった。
「うむ、どうしたものか・・・。」
卓也はそう言って駅前の時計を睨んだまま考え込んだ。
どうするかと考えてみても、連絡が付かない以上ずっと
待つしかあるまい。
「何をしているのだ。」
途方にくれている彼に、初老の男が声をかけてきた。
葬式の帰りだろうか?黒い礼服を着ている。
「彼女を待っているのですよ。忘れてしまったのか、も
う2時間も経っています。」
卓也はイライラした声でそう答えた。
「そうか、それは困ったな。」
黒服の男はそう言って笑った。
「このままではいつまで待たされるか分からない。」
予約していたフランス料理の時間も、映画の時間も間
に合いそうになかった。
何度も何度もこんなことを繰り返す彼女に、卓也は頭
に来ていた。
今日会ったら別れ話を切り出すつもりである。
「ふふっ、ずいぶん無駄な時間を使っているな。どうだ、
よければこの時間を買おうじゃないか。」
時間を買う?どういったことだろうか。
「実は、私の名前はベルゼバブと言う。悪魔の世界では
サタンに次ぐといわれる実力者だよ。」
悪魔だと、卓也はこの男が冗談を言っているのだと思っ
た。
よく似た話は漫画や小説で読んだことがあるような・・
・・?
「はははっ、良ければ買っていただきたい位のものですよ
。」
卓也はついうっかりとそう答えてしまった。もちろんそん
なことができるとは信じていない。
「そうか、それは話が早い。今後はお前の無駄な時間は
私がもらうそ。」
そう言ってベルゼバブは、懐から分厚い札束を無造作に
取り出すと、卓也に渡した。
彼は落としては大変だと、反射的に彼が差し出した札束
を両手で受けた。
「どうだ?良ければ嫌なことや、辛いこと、苦しいことも
一緒に買ってあげるぞ。」
そう言ってベルゼバブは持っていたトランクを放り出した。
地面に叩きつけられたトランクは勝手に扉が開き、一万
円札の束が零れ落ちた。
一億円はあるに違いない。
「これでお前はこれからの人生、辛いことや、苦しいこと、
悲しいことに巡り合うことはないのだ。」
後に残るのは嬉しいことと楽しいことばかりの人生である。
「私に感謝するがいい・・・。」
そう言うと、ベルゼバブはこつ然と姿を消した。
「ちょっと待ってください。こんな大金を・・・。」
卓也はあわてて札束を拾い集めてベルゼバブに返そうとし
たが、どこをどう探しても彼の姿を見つけることはできなか
った・・・。
2
「ごめんなさい、仕事で遅くなってしまって・・・。」
由紀はそう言ってペコリと頭を下げた。
「もう10時だし、帰ったと思っていたわ。」
10時?卓也は妙な顔をした。
「まだ8時前だろう。」
そう言って駅前の時計を見ると、確かに10時を指してい
た。
自分の腕時計も10時になっている。電波時計なので時刻
が狂うということはない。
「悪魔が買ったという時間とはこのことか・・・。」
2時間、この場所で無為に過ごす時間を持って行ってしま
ったのだ。
「さあ行きましょう。遅くなったけど・・・、今日はあなたのア
パートに泊まってもいいかな。」
由紀はそう言って私の右腕をしっかりと掴むと、頬にキス
をして、もたれかかってきた。
3
それからというもの、自分の人生に苦労というものがなく
なった。
辛い仕事などいくら言い渡されても、瞬時に机の上にで
きているのだ。
後で目を通しても完璧な仕上がりである。
「誰がやったんだ。」
自分の目を疑ったが、資料は全て間違いなく自分の字で
ある。
「やったな、谷村君。」
課長は喜んで私の肩を叩いた。
辛いこと、苦しいことも苦にならないのでどんどん仕事を
こなす。
成果は常にできているのだ。やったことはなぜか頭の中
に残っている。
私はどんどん出世していった。
収入も上がっていく。
「また出世したのね。」
由紀も嬉しそうだった。
彼女とはいつの間にかベットの中で一緒にいることが多
かった。
気付くとそうなっているのだ。
「結婚しましょう。」
いつか彼女の口からその言葉が出て、気付くと私達は結
婚式場に居た。
面倒な式の用意や打ち合わせなど全くなかった。
すべてが頭の中に入っているし、勝手に用意されていた
のだ。
「きれいな砂浜ね。」
気付くとオーストラリアに居た。
知らないうちに飛行機に乗って降りていたのだろう。
「私、幸せだわ。」
由紀の幸せそうな笑顔が今でも目に浮かぶ。
4
ところが、結婚してから私は、自分の日常に大きな変化
が生じていることに気付いた。
結婚後の日数が進むにつれ、その変化が深刻なものに
なっていく・・・。
不思議なことに結婚した由紀、現在の妻と会っている時
間が段々と短くなっていったのだ。
気付くと、いつも彼女は裸で同じベットに寝ていた。
だんだんと、加速度的に妻は太っていったように思う。
肌にも張りがなくなってきた。
私の体もお腹が出てブヨブヨしたものになっていく。
急速に二人とも老化していくのである。
「これは一体・・・。」
原因が分かった。
結婚後に楽しいこと、嬉しいことがなくなってきたのであ
る。
苦しいこと、厳しいことを、妻と長い間一緒に過ごすように
なり、会っている時間が減ってきているのだ。
「これはまずい。このまま私は死んでしまうのか・・・。」
愕然となった。
これはわりに合わない。
お金をもらって自分の人生を縮めていたにすぎないので
ある。
妻とは一緒にいる時間が少なくなり、やがて彼女はいつ
の間にか姿を消していた。
代わりに若い女の子と一緒にベットに寝ていた。
「君はいったい誰だ。」
私より20歳は若い、娘のような年齢だ。
「何言ってるの?自分の奥さんに向かって・・・。」
景子と名乗る女性は私の妻だと主張した。
デートをした覚えも、結婚式をあげた覚えもないのだが
・・・。
「由紀はどうした?」
私は景子に妻のことを尋ねた。
「最初の奥さんのことね。寝ぼけているの。」
景子は怒って背中を向けて眠ってしまった。
「離婚したんだ・・・。知らなうちに・・・。」
それでこの若い子と結婚したのだろう。
記憶がないのは、この子とデートしても、旅行しても、心
がときめかなかったからだ。
ただの・・・、体だけの関係だったのだ。
「畜生!悪魔め。返してくれ!俺の時間を・・・。」
私はベットを叩いて悔しがった。
「返してくれ!俺の由紀を・・・。」
私は布団に顔をうずめてむせび泣いた。
5
「ごめんなさい。待った?」
気付くと私は駅前のベンチで眠っていた。
時計を見ると午後8時、時間は戻っている。
自分の手を見ると、若さにみなぎり張りがあった。由紀
の顔も・・・。
「由紀、由紀って・・・、私の名前を呼んでいたわ。」
ベルゼバブを目で探したが、居なくなっていた。
受け取っていた大金もなくなっている。
「うふ、どんな夢を見ていたの?私が出ていたの?」
彼女は笑って私の鼻をつまんだ。
「いや・・・、悪い夢を見たようだ。君に助けを求めてい
たのだろう。」
私はベンチから立ち上がった。
彼女との人生を、もう一度最初から始めよう。
今度こそ失敗のないように。
「ずいぶんとつまらない時間を使わせてしまったわね
。」
由紀はそう言って私の右腕によりかかると、約束に遅
れたことを済まなそうに謝った。
「いや、いいんだよ。人生に・・・、無駄な時間などなかっ
たんだから・・・。」
楽しいこと、嬉しいことだけの人生は、本当に味気ない、
つまらないものだった。
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です。(目次のブログです)
よろしければご覧になってくださいね。
(実は一つの話を完結して他の話へ行くという手法
をとっておらず、いくつかのシリーズを並行して書い
ていますので、目次をご覧になった方がわかりやす
いかと思います。きまぐれで他のシリーズへ飛びま
す。)
増刊号の「山池田」です。
現在、なぞの物質・「福田樹脂」載せています
よろしくお願いしますね(。・ω・)ノ゙
(山池田は登山日記と、自分では今一つと思っている
話を載せています。掲載は不定期です。)

