福田樹脂
1
祖父が老人ホームで死んだ。
親父は既に亡くなっていたので、遺体は私達夫
婦が引き取ることになった。
うちの母親は離婚していたので祖父とはもう関
係が切れている。
祖父は遠くの施設に入居していたので、その町
の火葬場で焼いて貰い、遺骨のみを持ち帰るこ
ととなった。
「福田さんでしたね。」
施設で遺物の整理をしているときに、急に施設
長が呼び止めた。
「故人からこれを預かりまして・・。」
施設長は白い封筒を差し出した。
「なんですか、これは?」
白髪頭の施設長は頭を掻いた。
「私は何も聞いていません。お孫さんが来たらこ
れを渡してくれと頼まれただけで・・。」
封筒をあけてみるとご丁寧にもう一枚封筒が入っ
ていて「F計画について」と書いてあった。
「F計画?何のことだろう。」
あまり気にせず、そのまま上着のポケットに入れ
た。その時はたいして気にもとめなかった。
祖父は少し呆けていたのだろうと思っていた。
2
「どうして神島なんかへ。」
急に出不精の私が旅行なんかしようと言い出した
ものだから、妻の泉美はびっくりしたのだろう。
「いや、どうもお祖父さんの手紙が気になってね。」
祖父の遺品を処分するために施設に行ったときに
預かった手紙である。
「F計画」について、と記された白い封筒に入れら
れた文書であった。
内容は、伊勢の神島のあるところに「F計画」につ
いて関わるものを保存してあるので、それを処分し
てきて欲しいというものであった。
「F計画」がいかなるものであるかは、何も書かれ
ていない。
こんなわけのわからない話につき合う必要はない
が、そうもいかない理由があった。
祖父は旧帝国海軍に所属した軍人であり、多額
の軍人恩給をもらっていた。施設の中でお金を使う
ことはあまりなかったので、多額の預金を自分たち
が相続することとなったのである。
お金をもらって用事を無視するということは気が引
けたし、さして難しいことでもなかった。
戦争中に祖父は伊勢の神島である研究をしてい
たらしいが、そのことでBC級戦犯に問われることを
恐れ、研究の成果品、おそらくは何かのデーターを
民家の屋根裏に隠したらしかった。
それを処分してきて欲しいということであった。
その民家が既に無くなっていれば、それを探すに
及ばないと書いてある。
おそらく廃材と一緒に処分されていれば、それで
良いと思ったのだろう。
果たして、その記された住所を電話で問い合わせ
てみると、まだ建物は現存していた。
それで持ち主に話をして、家の中へ入れて貰うこと
にしたのである。もちろん若干の謝礼は用意してあ
る。
それにしても、死ぬ間際になってなぜそんなことを
気にし始めたのだろう。
余命幾ばくもなくなって、もう戦時中のことで罪を問
われることもないだろうに・・。
3
祖父が所属していたのは海軍陸戦部隊である。
日本艦隊はレイテ湾沖の海戦で事実上その能力
を失っていて、米軍への攻撃は主に零戦による神風
攻撃が主な対抗手段になっていた。
硫黄島・沖縄と陥落し、本土決戦に備え、海軍は水
中での特攻兵器として海龍(かいりゅう)や蛟龍(こう
りゅう)などを建造していた。これは小型の潜水艇で
あるが、先端部に爆薬を装着した人間魚雷回天(か
いてん)とあまり性能的に変わりはなく、魚雷を発射
し敵艦艇に発見されずに帰還することは事実上不可
能だったから、出撃がすなわち戦死となる。
このころは日本本土に敵のB29が頻繁に来襲する
こととなっていたから、湾内の日本艦艇はほとんど抵
抗もできずに破壊されるか行動不能となっていた。
乗る船が無くなった海軍軍人は陸に上がって陸戦
部隊となった。つまりは予備役である。
祖父はここ神島で大学時代の研究を、軍の指導で
続けたようである。
神島は伊勢湾内の孤島で、橋が通じていないから
鳥羽から市営の巡航船に乗ることとなる。
港には巡航船に乗る人用に駐車場も設けてあった
から便利であった。
「福田さんですか。お待ちしてました。」
港には60歳くらいのお婆さんが待っていてくれた。
こちらから無理なことを言っているのに、気を遣って
貰って悪いことをした。
お婆さんは港近くで今田商店という雑貨屋を経営し
ていた。
戦前からずっと雑貨屋を営んでいるという。島は三
重からも、対岸の愛知からもかなりの距離が有った
から、こういった雑貨店は重宝するのであろう。
祖父はここの二階に下宿していたらしい。
手紙に書かれたとおり、二階の押入の天井板を押し
てみると板が動いて天井裏が見れるようになっていた。
「あった、あったよ。」
懐中電灯で照らしてみるとブリキの缶が見えた。
ホコリにまみれた缶を引き出してみると、上に森永ミ
ルクキャラメルと書かれた小さな空き缶が載っていた。
「戦争中の慰問用のキャラメルだね。懐かしい。」
お婆さんがそう説明してくれた。
戦争中、慰問袋の中にこの缶入りキャラメルが入れ
られたらしい。過酷な戦場でも傷まないようにとの配慮
からだろう。
ネットで売れそうなので、ホコリを落としてポケットの
中に入れた。
「このブリキ缶を、開けずに海に放り込め、と書いてあ
る。」
ブリキ缶は結構重たい物である。勝手に開かないよう
にふたの継ぎ目にロウで厳重に目張りがしてあった。
「港で海に放り込んだら漁師の人に叱られるよ。人気
のないところへ行きな。」
お婆さんの助言通り、私は少し人気のないところでこ
っそり処分しようと、その缶を持ち出した。
4
「奇麗な所ね。」
泉美が嬉しそうに笑った。
遊歩道を通って監的哨(かんてきしょう)の跡へ行く。
コンクリートの廃墟がある。戦争中に陸軍が高射砲の
着弾を観測した施設らしい。
三島由起夫の潮騒の舞台になった所である。
主人公がこの施設で結ばれる所だ。
二階建てになっているので屋上へと上ることも出来る。
景色がすばらしい。
「来て良かったわね。」
特に何もないところだが、それだけに都会にはない自
然を味わうことが出来る。
観光も終わったことだし、そろそろ遺言通り缶を捨て
ようと遊歩道を下りかけたときである。
「その缶を渡すように・・。」
振り向くとサングラスをかけた金髪の美女がピストル
を構えていた。
「何の冗談ですか。」
私達夫婦は震え上がった。
まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
「それは、旧日本海軍のF計画に関する物でしょう。」
なぜかこの外人は、祖父の携わった作戦を知っている
ようだ。
「米軍の古い資料を見ていたらF計画の文書を見つけ
たのよ。当時の占領軍は荒唐無稽な作戦と判断して、
気にもとめなかったらしいけどね。」
流暢な日本語である。何者だろうか。
「あなたは一体?」
彼女は口元に少し薄笑いを浮かべた。
「私はロージー・カツラ。あるところで兵器の開発に携
わっている日系人よ。」
祖父の作った物が現代の兵器にも適用できるというの
か?この汚いブリキ缶に入った物が・・。
「この計画の主要メンバーの一人だった、福田少尉に
も老人ホームでお会いしたわ。彼は口が堅くて知らない
の一点張りだった。彼の死を聞いて、ずっと親族であるあ
なたの動きを監視してたのよ。」
うわあ、尾行や盗聴とかされてたのか。私のような小市
民に・・・。
「さあ、おとなしく渡しなさい。」
元々こんな物、頼まれたから取りに来ただけで何の未
練もない。彼女の足元に放り投げた。
「どっ、どうぞ。お受け取りになってください。」
あわてて放り投げたので、缶の蓋が開いてしまった。
中からところてんのような物がグニャリと出てきた。
「これが福田樹脂ね?」
ミス・ロージーは、はみ出たところてんのような物に何気
なく指先で触れていた。
「きゃあ、何これ?」
彼女はあわてて指を引っ込める。
ぐにゃりとそれは缶から紐のように長くのびて彼女の衣
服にくっついた。
「とっ、取れない。」
ハエ取り紙のようになっていて、ネチャリとしぶとくっつ
いてくる。
「強力な接着剤だったのかな。」
私達三人はブリキ缶を見て、ぞっとした。缶がひとりで
に震えているのだ。生きているように見えた。
やがて缶の蓋が開き、中の物が吹き出してきた。
「いやあ、ちょっと助けて。」
吹き出た内容物はミス・ロージーの足に絡みついた。
「うっ、動けないわ。」
缶の中の物は明らかに質量が増しているように見えた。
後から後から膨らんでくる。
「なんなのこれ?説明書とかなかった?」
ロージーさんはパニックになって必死で福田樹脂から
逃れようともがいた。
「あのう、あまりバタバタすると練った水飴みたいになっ
て、かえって硬く結びつくようですよ。」
彼女の両足はほとんど身動きできなくなってきている。
「説明書・・?あっ、あのキャラメルの缶だわ。」
妻が森永キャラメルのカンカンのことを思い出した。
あわてて中を開けると何か文字の書いた文書がでてき
た。
「これは敵の優勢な機動部隊、特にM4シャーマン戦車
に対抗するために作られた兵器である。」
私はみんなに呼んで聞かせた
「この兵器は太陽光にさらすと内部の葉緑素が反応し、
無限に細胞分裂を繰り返し広がっていく・・。」
蓋を開けてはいけなかったのだ。
「手に付いた場合はベンジンまたはシンナーで速やかに
ふき取ること。」
今更そんなこと判っても仕方ない。
「増殖スピードは著しく速く、数分で質量は倍になる。設
置した後は速やかに現場を離れること。」
確かに見る間に広がりつつある。
私達二人は後ずさりして逃げようとした。
「待ちなさい、見捨てる気?」
ロージーさんはピストルを構えた。
「どうにもなりませんよ。助けを呼ばないと・・。」
彼女は泣きそうな顔をした。
「お願いここに居て・・・。私、助からないような気
がするの。」
客観的に見てそうだろうけど、自ら蒔いた種でしょうが。
私達まで道連れにしなくても。
「あなた説明書を・・・。」
続きを読めと妻が促した。助かる術が書いてあるかも知
れない。
「これはアメーバのような原形質流動をすることができ、
仮足により自立的に活動することが可能である。」
細胞内部の物質を流動化さして自ら動くことが可能なの
だ。ますますタチが悪い。
そういえば、だんだんこっちに近づいてくる。
「この、化け物め。」
ロージーさんは自分の足元を撃ってこの生物兵器の息
の根を止めようとした。
「銃撃・砲撃は一時的に樹脂に空洞を穿つのみで、すぐ
に塞がって効力はない。むしろ拡散させて危険である、と
書いてある。」
これはまずい。取り込まれたら本当に動けなくなって、と
んでもないことになりそうだ。
「あのう、私達は逃げてもいいですか?」
彼女は必死の形相で銃をこちらに向けた。
「お願い、助けてくれたらなんでもする。お嫁さんになっ
てあげてもいい。そんなちんちくりんのブスより私の方が
いいでしょう。」
うむ、と妻の方を見てみる。
確かにそうかも知れんが、命あっての物種だろう。
「あんた、何見比べてるのよ。」
しまった、気づかれたようだ。
しかし冗談抜きで、このままでは三人とも死を待つだけ
である。
「あっ、あれは何だ。」
私は海の方を指さして大声を出した。二人がそっちの方
を見る。
「えいっ。」
妻を蹴っ飛ばしてロージーさんにぶっつける。
ふたりはそのまま倒れ込んだ。
「ちょっと待っててくれ。助けを呼んでくる。」
見る間に福田樹脂は広がりつつあった。
「待ちなさい、この人でなし!」
置き去りにされた二人が大声でののしった。
合理的に考えて、三人が死ぬより一人だけでも助かった
方が良いに決まっている。
5
キャラメルの缶にはこの生物の弱点は書いてなかった。
たぶん火は有効だろうが妻も焼き殺すことになるだろう。
また、成長スピードが速いので小さな火では樹脂の拡
散を防ぐことはできない。
私は港まで走ると今田商店にかけこんだ。
「おばさん、塩をあるだけください。」
荷物を運ぶ台車にボール買いした食塩を積み込むと、
あわてて坂を駈け上った。
「祖父は最初に海に投げ込めと言っていた。陸生生物
だから海の中では生きられないのだ。」
それなら塩にも弱いはずだと考えたのである。
特に根拠はない。
外れたらそれまでである。
既に樹脂は10メートル四方に広がっていた。
真ん中に妻達が固まっている。
「このろくでなし、悪魔!」
私の顔を見るなり罵詈雑言を浴びせかけてくる。
まだ元気なようである。
「えいやっ。」
思い切り塩をぶちまけると見る間に動きは鈍くなり、硬く
なっていく。
死ぬと硬化するようで、文字通りの透明な樹脂に変化
していった。
広がらないように縁から塩を撒いていくと何とか拡散は
防げた。最後に妻達に塩をかけると二人は透明な彫像の
ようになった。
島中が樹脂に覆われる所だった。
祖父がこの島を実験場に選んだのは、失敗しても犠牲
が島民だけに止まるからであろう。
酷いやり方である。
「兵器として使われなかったのは、敵味方を区別なく攻
撃するからか?」
本土で使用したら日本国中が固まってしまうこととなる。
「早く助けて!」
とりあえず妻を切り取る。樹脂は硬くなるともろいようで、
ナイフで簡単に切れた。
「私は?」
ロージーさんがこちらを訴えるような目で見る。助ける義
理はないが・・・。
とりあえず銃を奪って海に捨てる。
「悪い人でもなさそうだし・・・。」
樹脂を切ってあげると彼女は礼を言って消えた。福田樹
脂が使い物にならなくなった以上、私達に用はないみたい
だった。
「私を蹴飛ばして逃げたとき、もう戻ってこないのかと
思ったわ。あなたそんな人じゃないのに、疑って悪かった
。」
泉美はそう謝ると腕を組み、ほっぺにキスをした。
塩が効かなかったら逃げたであろうことは、やはり黙って
おこうと思う。
これは米軍のシャーマン戦車 茨城県の土浦市にありま
す。
ペタは本ブログにお願いしますね。
↓
本ブログの大池田劇場です
本ブログの目次になっている豆池田です