有限を無限にしたくない。
そう思う。
限りある人生の中で「この日々は永遠に続くのではないか」と感じるほどの退屈感。そう錯覚してしまうほどの無変化の日々。手にしたい物があるのに手にできず、その努力をする気も起きない、でもそわそわしてしまう、そんな何もできないまま過ぎ去って「今」という時間の流れが「過去」になっていく。いつの間にか夢を描いていた歳になっていて、その現実は描いていたものとは全く異なって存在する。
こんなことをしていたらきっと気がついた時には病院のベットの上で白い天井をただひたすら見つめ、気がついたら呼吸が苦しくて、何本もの管に繋がれて、気がついたら死んでいるのだろう。
そういつも考えてる。
そこに生きる価値なんてこれっぽっちもない。
そう感じる。
一二三スイさんの『さよなら流星ガール』
では3人の登場人物が亡くなる。
ヒロインの女の子はその中の一人。
最後のページを見てから本を買ったのだけれど
はっ、人を死なせないと何も伝えられないのか?と(一二三スイさんすいませんm(_ _)m)この世の小説も落ちたな!!!!!などと勝手に見えない何かに喧嘩を持ちかけていました。
でも本を読んで思うことは。
人の死を経て伝えられること
人が死ぬまでの間が伝えてくれること
人が生まれることで伝えられること
人が死なないと何も伝えられないの?
人が死なないと何も気付けないの?
そう疑問に何度も思った。
けど人の死ってそれ程のことなのだとも思う。
死が人に教えてくれることはそれ程のことなのだと。
私が死んだ時に何も伝えられぬまま、何も感じてもらえぬまま死ぬよりも、何かを感じて欲しい。何かを得て欲しい。私の過ごしてきた日々が築き上げた「老」というものから何かが伝わって欲しい。私という存在が無になることで誰かの中の無が有になって欲しい。
まずは何かを伝えられる死を迎えられるように
何かを人に伝え伝わって感じて「今」を過ごすことにしないとね。
死というものにたとえ意味はなくても
親や友達や私にとってそれが無価値かと言われたらそれは確実に「NO」です。
※死というものに意味はない
というのは、生き物が死ぬことは必然だから。
これは『さよなら流星ガール』からの受け売り?なんだけどね。
とにかく。無価値じゃないよ。
有限を無限にする日々はもう嫌なの。
そこに生きる価値なんてないもの。
無限は美しくない。限りがあるから人の命はこれほどまでに美しい。そうでしょう?
私だって美しい人生を過ごしたい。この日々が、この人生が終わって欲しくない。この瞬間が過ぎて欲しくない。そんな風に思える日々を過ごしたい。常に有限を見せてくれる、そんな輝いた日々を送りたい。
きっと過ごせたら、ものすっごく素敵ね。
そう思いません?