本日のTONE会ズーム交流会のフリートークのお題は【障害を受け入れられているかどうか】というお話でした。
私は約30年に渡り、障害者として生活していますが、ほとんどは最終的には受け入れています。
筋ジストロフィーの病気自体には明確にいつ受け入れたはなく、小学校時代も毎日を全力に楽しく過ごしていたので、いつの間にか自然と受け入れていたのだと思います。
でもそうとはいえ、筋ジストロフィーの病気の症状が進行する中で今までなら良かったことやできていたことが変わる、出来なくなることの1つ1つを受け入れていくのはどうしても少し時間がかかります。
思い当たることでいえば、主治医が夜間だけ人工呼吸器を着けなさいといっても、当時の私には人工呼吸器=今にも死ぬ人が着けるイメージがあり、呼吸状態がかなり悪くなる寸前まで人工呼吸器無しで頑張ったり、私はかなり身体の変形が強いのですが、変形が進むたびにクッションやスポンジの位置を変える必要があるのに、変形が進んだことが受け入れられず、クッションやスポンジの位置を今まで通りにして身体を痛くしたり、食事でも最近、パサパサしたミンチ食は食べるとむせ込みやすいのに、ついつい食べてカフマシーンのお世話になったり、車椅子移乗時にマスクを一旦外すのだが、自発呼吸はかなり厳しいのに少しくらい自発呼吸できると思い、アンビュー無しで頑張って結果苦しくしたりします。
このように時々、障害の症状の進行をすぐには受け入れられていない自分も垣間見ることができます。
でもTONE会の仲間や周囲の筋ジストロフィーの人を見ていると、障害も個性ではないか、筋ジストロフィーににしか分からない視点があるではないか、特に最近思うようになりました。
自分の病気そのものは受け入れているし、進行に伴う症状の変化に対しては最終的には受け入れるけど、何年経ってもなかなかすぐには症状の変化には受け入れられないものです。