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「モンティー・パイソン」のメンバーを紹介第一弾です。パイソンはとてもインテリがあつまるグループです。メンバーの多くはケンブリッジ大学とオックスフォード大学出身なのです。あのはちゃめちゃなスケッチももでたらめではなく、すべて計算された演技なんですねー。
それでは、メンバーのバックグランウンドを紹介しましょう。
■グレアム・チャップマン■
Graham Chapman
1941年1月8日ミッドランド州レスターで、警官の父親ウォルターと母親のエディスの次男として生まれた。
中学校時代に、テレビでケンブリッジ大学のコメディーサークル「フライトライツ」の公演放送を見てケンブリッジ大学に進学を決めたと言う。
ケンブリッジ大学では医学を学びながら、その後、「フライトライツ」でジョン・クリーズと運命的な出会いを果たす。この2人はコンビでコメディーを書くようになり、パイソン結成後も2人でコンビを組むことが多かった。
パイソンはあらゆる権威をけなすスケッチが多かったが、チャップマンは父親の影響か特に軍人や警察官などの権力者を演じるのに優れた人材であった。
そんな固いイメージのある彼だが、私生活は地味でシャイな存在であった。クリーズは後に、「彼は自分を過小評価する傾向だった」と述べている通り、心理的に弱い面ものぞかせ、酒に走る人生を送っていた。危険なほど飲んでしまう生活は体をむしばみ、わずか48歳と言う若さでこの世を去ることになりました。
奇しくも彼がなくなった1989年10月4日は、パイソン結成20周年記念の前日であった。
チャップマンは、メンバー唯一のゲイで、1972年にロンドンの地方雑誌「ゲイニュース」の立ち上げに携わり、その後積極的にゲイの人権活動に力を注ぐのでありました。
Graham Chapman interviewed on Grampian TV 1987
■ジョン・クリーズ■
John Cleese
1939年10月27日イングランド・サマセット州にて40歳を超えた両親の一人息子として生まれた。一人息子と言うこともあり、親は過保護と言えるほど大切に育てた。
そんなお坊ちゃま育ちのせいもあり、同級生などからからかわれることが多かった。そこで彼がとった行動はいじめっ子達から笑いをとること。
小学生のときにすでに笑いの世界に興味があったクリーズは次第に笑いのセンスを身に付け、周りからはおもしろい奴と認められるようになってきた。
高校卒業後地元で教師を務めた後、ケンブリッジ大学のダウニング・カレッジで法学を学び、チャップマンと同じく「フライトライツ」に入部。
彼はすぐさま才能を発揮し、伝説のコメディーレビュー「ケンブリッジ・サーカス」の成功に大いに貢献するのでありました。
その活動がプロの目にとまり、卒業後弁護士の職を捨てBBCラジオの専属コメディーライターとしてのファーを受け入れることになる。
その年収は1万5千ポンド。当時のレートは1ポンド1000円だったので、なんと1500万円!今の価値に換算すると、とてつもない報酬であった。
その後ニューヨークに渡り、駆け出しのアニメーターであった「テリー・ギリアム」と運命的な出会いを果たす。
クリーズはモンティーパイソン・フライングサーカスの第3クール終了後にメンバーを脱退している。つねに斬新な挑戦をし続ける彼にとって、いささかマンネリ化してきた、番組に飽きたり、メンバー内での不協和音(オックスフォード組とケンブリッジ組)が原因とも言われています。
John Cleese interview - part one - Parkinson - BBC



