『…うん、うん。わかった。じゃあ明日早めに行くね』

携帯を切ってソファーに身体を預けると、なんだかもう立ち上がれないような気がした。

「疲れてるなぁ~」

少し大きな声で言ってみる。



時計の音が、「カチカチ」と
「ふんふん確かに」
と…



無理やり身体を起こして冷凍庫から氷を出してグラスに入れ『ダルマ』を注いで氷と馴染ませるように三回振った。

『…もう少し若者向きのウイスキーはないのかね!?』

(こないだ家で飲んだ時にヨーコに言われたなぁ)



「ふんッ!文句言いながらも三杯も飲んだしッ!」

さっきより少し小さな独り言を言いながらソーダを注ぐ。


今度は少し浅めにソファーに腰掛け煙草を吸った。


転がってた漫画を手に取りパラパラめくった。

『…これ…こうゆうの面白いわけ?』

「…アイツ…人の好みをなんでもけなしやがって…だいたい日本語変だしッッ!」



「…独り言多すぎ…」


ハイボールが好きだ。
流行る前から好きだ。ダルマで作るのが好きだ。



(…パパはロックが好きだったなぁ~)


「明日持って行って一緒に飲むか!」

「…だから入院したってのッ!!意識ないっつぅのッ!!」


(…独り言のボケツッコミはヤバィょなぁ…)


いつの間にか深く腰を落としていて、また立ち上がれない気持ちになった。


携帯を掴んで転がってた漫画家の画像を探す。

(浅野い…)


「何やってんだ、あたし…」



ハイボールを一気に飲み干してお腹に手をやると冷たさが伝わってきて少し泣けた。


「ちょっとだけ泣いたらもう一杯飲むから…」

(…変な日本語だし…誰に言ってんだし…)

そう思いながら少しだけ…泣いた。









電話が鳴っている…

…億劫だな…

…なんだかとてつもなくだるいし眠いし…




まだ鳴っている…


…くそ…


『…はい?』

『あ、お忙しいのに申し訳ありません。少しだけお時間頂きたいのですが…』


『…俺、もう時間ないから…悪いけど…』

『わかってます、わかってます、お忙しいのは重々~でも本当に耳寄りなお話でしてね!ご説明を聞いて頂ければ…』


耳障りなしゃがれた声はテンション高く捲し立てる。

『本当に時間ないんだよね…』

『わかってます、わかってます~時間は大事ですからね~“時は金なり”なんて申しますし~朝の時間なんて特にねぇ~テレビなんかちょっと見入っちゃったらあっという間に遅刻…なんてね!家なんかは時計代わりにテレビ点けてるんですが…あ、テレビと言えば“地デジ化”!対策進んでいます!?』

『…ケーブルテレビの代理店さん?俺んトコはもう必要ないし…』

『いやいや違います、違います~実はですね、この度は画期的な企画でしてね!お客様のご希望に応じて色々な特典もご用意させて頂いてるんですょ~こんな時代ですからね~ほら、なんですか…何が起こってもおかしくない時代ですから…家なんかはこないだ空き巣に入られましてね!うちのマンションはオートロックじゃないものですから~お宅さまのマンションは…』

『…うちも違うよ…なに?マンション販売とか!?』

『いやいや違います、違います、なんて言うんでしょう~“備えあれば憂いなし”ですかね、一寸先は闇…後に残された方に対してもですね…』

『…保険とかのセールス!?だったらもう俺、必要ないから…』

『いえいえ!保険ではございません!今、保険なんてお安いのもたくさん出てますしね~加入されている方、たくさんいらっしゃいますからね~私どものご案内はその先のお話でして…』

『…その先…墓?あ~それは考えてなかったな…でもなんとかなるだろ!?後の事まで…もう考えてらんないよ…』

『いやいや、お墓ではなくてですね~』

『…あ~もうダメだよ…悪いけど時間が…』

『わかります、わかります、ではサクサクとご説明致しますが人間は誰しも必ず死にますがその中でもこの世に心残りのある方はたくさんいらっしゃって~そうですね、年間亡くなる方の半分以上は何かしら心残りを訴えていらっしゃって…』

『…心残りね…確かにそうかも知れないね…』

『そうでしょう!?しかも現代人は何かと多忙な日々を送っていますからね~その時にならないとなかなか考えようとはなさらないから…ぶっちゃけた話になりますがね、実際に以前は勧誘の対象を今とは違ってお電話していたんですがね~なかなか~皆さんお忙しいので“そん時はそん時”“そん時に考える”なんて仰って即電話も切られまして~』

『…なるほどね…まさか俺も“そん時”がこんなに早く……でも悪いけど俺も時間が…』

『ああ、そうですよね!わかりました、わかりました、でですね、私どもはその“心残り”の中でも~まぁ私の部署は【怨恨部】でして主に怨み辛みを扱っておりまして、ええ、ええ、そう考えますと今のお客様にはぴったりのご提案をさせて頂けると思いまして~お客様だってまさか奥様の浮気相手に刺されるとはお思いにならなかったでしょう?ええ、ええ、わかります、わかります、お客様もお金でカタがつけばとお思いになってましたもの、それにしてもあんな逆上されるとはねぇ~しかも刃物は用意されてましたから、明らかに計画的ですしね!そりゃあ怨まれて当然ですよ~ですからこの企画にぴったりだと思いましてご連絡差し上げた次第で~勿論、報酬は頂きますが、まぁそこは【怨恨部】、相手の方のお命で相殺出来ますのでね、ぜひこの機会に…あれ?お客様?お客様?』


『…』


『…間に合わなかったかぁッッ!!だいたい顧客名簿の回ってくるのが遅いんだょ!!殺されたてじゃないと!息が続かないんだからさッッ!!…はぁ~またボスに叱られる…』


【怨恨部】の社員は自分の営業力のなさは棚にあげて、そう言いながらボスの顔を思い浮かべため息をついた…



西日が受話器を握りしめ、胸にナイフを突き立てて動かなくなった男の顔を照らしている…




人間はそのボスを〝死神〟と呼んでいる…





…また雨が降ってきた。
はぁ…

家に入ってからも猫の毛並みが指に残っていて気持ちがざわついた。

さっきから胃がムカムカする。でもそろそろ出掛ける支度をしなくては…

そう思いながらも憂鬱で椅子から立ち上がれない。


「さてッッ!」

声に出して膝をポンと叩き立ち上がった。



歩いてもそんなにかからないが窓の外を覗くとまだ雨はしとしと降り続いている。

(…バスで行こう)



バス停に着くとすぐ行き先方面のバスがやって来た。乗り込むとムッとする空気が体を包み込む。夕刻のバスは少し混んでいた。汗がじんわりと沸きだし額に髪が張り付いた。ヘッドフォンをした若い男の隣が開いていたが耳障りな音が漏れて聞こえる。



バスを降りて少し歩く。
見慣れたマンション…。

…今日は呼び鈴を押し名前を告げる。すぐ応答があってオートロックを解除してくれた。
エレベーターを降りてドアの前に立ち深呼吸をして呼び鈴を押す…



「私…あなたのお腹の子の父親を知っているの」

部屋に入りリビングに通されてソファーに座ると葉子は切り出した。

静かな口調…



葉子は深いため息をついた。

ソファーで身を固くして彼女はじっとしていた。


葉子の気持ちは決まっていた。キッチンから出した包丁はソファーの下に隠してあった。引き抜き一気に彼女の胸に突き刺した…
彼女は間抜けな顔をしたが…一瞬笑ったように見えた…が、すぐに苦悶の表情になり…


動かなくなった。



葉子はじっとその表情を眺めていたが緩やかに笑みを浮かべ部屋を後にした。
エレベーターを使わず階段を上がり屋上に出て…


一気に飛んだ








(はぁ…)


キッチンの隅で触覚をふりふり出てきたゴキブリが流しの高さに迷うように動かずにじっとしている。


(やぁっと『入れ物』が変わって人間に生まれ変われると思ったのによ~)




猫から胎児に『入れ物』を変え更に『入れ物』を変えた彼は悔しさよりも虚しさを感じ感傷的になっていた。


(足の本数が多いヤツはまどろっこしくていけねぇ…)





遠くで雷が鳴っている。
今年もいよいよ梅雨が明ける。