千人同心街道4日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

24.10.14(月)
川越のビジホをチェックアウトし、車で羽生へ。羽生駅近くのホテルに車を駐めた。フロントへ行き、自分は今晩宿泊予約の者であることを告げ、車だけ先に駐めさせてくれるよう頼んだ。徒歩で羽生駅へ行き、8:55 発の秩父鉄道で熊谷へ。熊谷でJR高崎線に乗り換えて吹上駅へ。

 

この日歩いたルートと写真など

 

中山道道標

 

9:42 吹上駅からこの日の歩き開始。すぐに旧中山道との追分に着いた。このあたりが旧宿場、吹上宿である。中山道の宿場ではないが、千人同心街道では11番目の宿場らしい。旧中山道を大宮駅から行田駅まで歩き、吹上宿を通ったのは、2009年02月14日だった。もう15年以上も前のことになる。その頃は、APL(急性前骨髄球性白血病)再発の症状が出始めていた。

 

新佐賀橋

 

10:00 元荒川の佐賀橋を渡った。すぐ上流側に新佐賀橋というコンクリートのアーチ橋があり、昭和8年架橋で土木遺産との解説があった。

 

馬車鉄道の銘板

 

10:17 がんがら大橋を渡った。歩道には馬車鉄道の絵が描かれた銘板が埋め込まれていた。かつてこの道に馬車鉄道があったらしい。

 

新兵衛地蔵尊常夜燈

 

10:47 新兵衛地蔵尊と書かれた常夜灯があった。常夜燈というと裾がやや広がった形のものが多いが、この常夜燈はあまり裾広がりではなく、屋根の部分が銅板だった。また、少し傾いて立っていた。

 

水城公園

 

11:00 水城公園に立ち寄った。この日は祝日のせいか、家族連れが多かった。

 

旧忍町信用組合 水城公園畔

 

11:30 高札場跡の石碑。この前の交叉点が12番目の旧宿場、忍宿の中心あたりか。11:40 行田市郷土博物館を見学。秀吉の関東制圧の時、最後まで抗ったのが小田原城と忍城で、その時の展示があったほか、足袋生産の資料も展示されていた。行田は今でも足袋の生産数日本一とのこと。
 

御本陣跡碑

 

郷土博物館を後にし、代官所跡、旧牧野本店店舗・足袋の博物館、忍宿本陣跡の前を通り、露座の大仏がある大長寺に立ち寄った。大仏の傍らには芭蕉の句碑があった。
13:15 旧忍宿の中心からはやや外れたファミレスで昼食にした。歩き始めから 9.3km,15,649歩。13:45 昼食後歩きを再開。

 

武州荒木駅

 

14:45 秩父鉄道の武州荒木駅に到着。昼食後は 3.8km,5,620歩。前後の区切りを考慮したためこの日歩いた距離は短いが、ここで歩き終了。14:55 の電車で羽生へ戻った。そういえばこの日10月14日は鉄道の日だったな。