22.5.30(月)
前日に続き、羽州街道のウォーキング。秋田駅から電車で土崎へ。
↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
9:10 土崎駅からウォーク開始。近くには旧国鉄土崎工場がある。駅にD51の煙室戸が展示されていたが、おそらくレプリカだろう。
9:28 踏切を渡った。土崎駅から秋田港貨物駅へ行く貨物線である。JRの秋田港貨物駅は営業路線であるが、その先に続いていた引き込み線や秋田臨海鉄道は、ほとんど廃止されたようだ。それらについては「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」で、「秋田臨海鉄道北線」,「秋田港駅廃止区間」の記事にアップされている。
この日の歩き始めは少しぼんやりしていたせいか、その先で2回も分岐点を間違えた。
新城川を渡った先で、消火栓の脇に「放火に注意」と書かれた真新しい看板が立っていた。このあたりで不審火があったのかな。
11:05 追分駅近くの国道7号の交叉点で、学生さんを何人か見かけた。近くに県立大学があるので、そこの学生さんかな。その先のスーパーでトイレを借りた。
正午少し過ぎ、国道7号から左に分かれるY字路の先に大衆食堂が見えたので、昼食をとることにした。土崎から 17,860歩,11.7km。
店内には閉店を告げる貼り紙があった。翌5月31日で営業終了とのこと。お昼時で10人ほどの客がいて、閉店のことを話していた。おそらく近所の人だろう。農作業中での昼休みらしき人も何人かいた。
野菜炒め定食を食した。私の後で注文をした人が何を注文したかわからないが、「もやしが無くなった。」「もやし無しでいいよ。」と話していたので、私がここの野菜炒めを食した最後の客になったかもしれない。
12:55 昼食後、ウォーク再開。
馬踏川を渡って14:00頃、旧羽州街道36番目の宿場、大久保宿にさしかかった。次の下虻川宿との合宿で、半月交替だったそうだ。1つ手前の土崎湊宿から10km以上ある。ここは宿場間の距離が少し開いているな。
大久保の町では、佃煮の製造所を3軒見かけた。佃煮が名産なのかな。JR大久保駅でトイレを借りた。14:40 大久保との合宿、旧下虻川宿を通過。
15:00 過ぎ、小玉家住宅の前を通過。重要文化財に指定されている建物だそうだ。監視カメラや警告表示など、やたらセキュリティが厳しい印象を受けた。その先には小玉醸造の倉庫が多数あった。重文小玉家の経営かな。
15:39 井川の橋を渡ったら「街道」と書かれた標識があった。街道という町名は珍しい気がする。
15:59 一里塚跡の石碑があり、江戸から百五十里と刻まれていた。
16:15 馬場目川の橋を渡った後に着船場があった。渡船場跡かもしれない。そのあたりから37番目の旧宿場、大川宿となる。次の一日市との合宿で、半月交替だったそうだ。このあたり、半月交替の合宿が多いが何故だろう。
16:40 八郎潟駅に到着し、この日のウォーク終了。昼食後は 22,904歩,14.9km。半世紀以上前、ここから五城目駅までの3.8kmを結ぶ秋田中央交通線という電化路線があったそうだ。廃止は1969年7月とのこと。秋田中央交通線については「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」の「秋田中央交通」に詳しく記事アップされている。
16:48 の電車で秋田へ戻った。