羽州街道ウォーク15日目 刈和野→和田 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.5.23(月)
前日に続き、羽州街道のウォーキング。この日も天気予報が気になったが、朝の天気予報を見て、歩くことにした。駅前のビジホをチェックアウトし、大曲駅 8:13 の下り電車に乗った。この時点では、弱い雨が降っていた。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:33 刈和野駅からこの日のウォーク開始。雨はあがっていて、その後この日は降らなかった。

 

 

前日も気づいていたが、「唐津市友好通り」と書かれた看板が何か所かあった。佐賀県の唐津市かと思ったら、韓国の唐津市(당진시:Dang-jin-si)だった。姉妹都市なのかな。
9:20 頃、旧街道がJRの線路と国道13号と交叉する区間を進んだ。線路と国道を横切れるかもと思って進んだが、無理そうだったので引き返した。

国道13号から旧道に入り、10:00 過ぎに峰吉川郵便局前のT字路に着いた。鉄道駅はしばしば町の中心から離れたところに置かれていることがあり、JR峰吉川駅もここから2kmほど西にある。郵便局はここにあるから、こっちのほうが峰吉川の中心部のような気がする。
旧街道はこのT字路から右に曲がり、北の峰ノ山へ向かう。郵便局の向いに商店があった。自販機で飲み物を買い、山越えに備えて水分補給。
T字路から北へ向かってすぐのところに「峰吉川小学校創立前之寺子屋跡地」と書かれた標柱が立っていた。側面には「明治十一年以前」と書かれていた。小学校跡の石碑や標柱はよく見かけるが、小学校開校前の寺子屋跡地というのは初めて見たな。
寺子屋跡近くでお婆さんに話しかけられた。「どこまで行ぐの?」「境の方です。」「山越えで?」「はいそうです。」「クマに気をつけてね」
その先で舗装は終わり、さらにその先で左の山道に分岐する。分岐点の左右には燈籠があった。この先に白糸滝という滝があり、白滝明神の燈籠で、嘉永年間の燈籠とのこと。江戸時代末期のものということになる。

白糸滝への道と分かれて左の山道に入った。院内峠を越えて羽後、秋田県に入ってからここまで、概ね雄物川沿いに歩いて来たが、このあたりで雄物川から離れる。このあたりから雄物川がやや狭い谷になっているため、旧街道はそれを避けたのかな。
道はオンロード四駆なら難なく通れる道だった。FF車だとややきついかも。カモシカが10mほど前で、道を横切って行った。10:38 Y字路に出て、未舗装だがFF車でも難なく通れる道に出た。

11:05 明治天皇御野立所跡を通過。ここから左の東北自然歩道に入る。羽州街道ウォークで4月25日に歩いた、宮城・山形県境の金山峠も東北自然歩道だった。金山峠の東北自然歩道は山の中の遊歩道で、車は入って来れないようになっていた。同じような遊歩道を予想していたのだが、ここはFF車でも難なく通れる車道だった。この先の旧羽州街道にも、東北自然歩道に指定されている区間がいくつかあるのだが、どんな道かな。

東北自然歩道に入ってすぐ、車が1台停まっていた。山菜採りかな。その先にも中年女性2人連れがいて、1人が山に入り、車に残っているもう1人と話しをしていた。さらにその先には、部分的にコンクリート舗装になっている区間があった。やはりこの道に「東北自然歩道」という名は合わないよ。二丁坂と呼ばれている坂を下り、国道13号に出た。11:50 荒川の橋を渡ったあたりで、31番目の宿場、上淀川宿に入った。

 

 

上淀川宿から出たあたりの踏切に、単線並列に関する注意書きがあった。「ふた通りの走り方をしまうす。充分注意しましょう。」「連続して同じ方向からも列車が来ます。」「左右それぞれの方向から列車が来ます。」
12:11 「境本陣跡」の標柱があった。32番目の宿場、境宿の中心付近かな。1つ手前の上淀川宿と2kmも離れていない。12:27 JR羽後境駅でトイレを借りた。


JR奥羽線を2回越えて国道13号に出たあたりから、北西の丘陵を越えるのが旧街道のルートだったそうだが、
今では道筋はほぼ消滅し、廃道となっているそうだ。代わりに国道13号を迂回したが、登坂車線の脇を歩くことになった。歩道はなく、路側帯も狭く、2桁国道でトラックも多かった。船沢の集落を過ぎたあたりに、青森までの距離が書かれた標識があった。羽州街道ウォークで、初めて青森が書かれた標識を見た。

14:50 岩見川に出て「坂本の渡し」跡近くを通過。同じ岩見川を3回渡り、上流側から一ノ渡,二ノ渡,三ノ渡と呼ばれていたそうだ。ここは一ノ渡にあたる。橋台の痕跡があった。旧国道の橋だったのだろう。

 


一ノ渡から国道に合流するあたりの左側に、線路の下を潜る狭い道があり、煉瓦造りの橋台が見えた。標準軌の線路の陸橋だった。造った時に設計者は、将来改軌されるなんて予想もしていなかったろうな。狭軌の方の橋台はコンクリート造りだった。

この日歩いた区間は国道13号と何度も交叉するので、昼食を取れるところがどこかにあるだろうと思っていたが、タイミングを逸してしまった。15:05 コンビニがあったのでパンを買って食べた。

15:40 過ぎ、33番目の宿場、和田宿に入った。次の豊島宿との合宿で、半月交替だったそうだ。15:48 JR和田駅に到着し、この日のウォーク終了。刈和野駅から、40,916歩,26.0km。15:58 の電車に乗って大曲へ。大曲で秋田新幹線に乗り継いで帰宅。